« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010-06-21

揺れ動く「民意」と「世論調査」という政治報道

内閣支持下落50%、消費税発言響く 朝日新聞世論調査

菅直人新首相の就任によって、劇的に支持率を回復した民主党政権。
だが、菅首相が「消費税率10%」に言及したとたん、世論は敏感に反応し、大きく支持率を落としたとある。

何だかヘンだなあ。
ちょっとした発言や出来事に対して、あまりに敏感に反応して大きく揺れ動く「民意」とやらもおかしいし、「世論調査」ばかりしているマス・メディアの政治報道のあり方もおかしい。

「みんなの意見はだいたい正しい」というけれど、この命題が成立するには、「みんな」とやらが最低限の「知識」をもち、社会を支えるという「責任感」を共有していることが前提となるはずである。それらを欠いたまま、やみくもに「世論調査」を繰り返し、「民意」を抽出することに意味などあるのだろうか?

内閣支持下落50%、消費税発言響く 朝日新聞世論調査

  朝日新聞が19、20の両日実施した全国世論調査(電話)によると、菅内閣の支持率は50%で、1週間前の前回調査(12、13日)の59%から下落した。不支持率は27%(前回23%)。「消費税率10%」に言及した菅直人首相の発言には「評価しない」が50%で、「評価する」の39%を上回った。首相が引き上げに前向きと取れる発言をしたことで、消費増税に反対の人たちの離反を招いているようだ。

  消費税引き上げそのものへの賛否は賛成46%、反対45%で、前回(賛成49%、反対44%)と大きくは変わらない。
  だが、前回は引き上げに賛成の人と反対の人との間で内閣支持率にほとんど差がなかったのに対し、今回は賛成の人の内閣支持は63%、反対の人の支持は41%とはっきりと差がついた。
  また、「いま投票するなら」として聞いた参院比例区の投票先も民主36%(前回43%)、自民17%(同14%)、みんな5%(同4%)と民主がかなり減らした。ここでも、消費税引き上げ賛成の人では「民主に投票」が45%と前回(46%)並みなのに対し、反対の人では29%と前回(40%)から大きく下がっている。
  内閣支持、民主への投票ともに、消費増税に反対の人の一部が、この1週間で背を向けた様子がうかがえる。
  また、選挙の結果、民主党が参院で単独過半数を「占めた方がよい」「占めない方がよい」の比率も今回は34%対53%で、前回の44%対44%よりも民主に分が悪い結果となった。民主中心の政権が「続いた方がよい」「そうは思わない」も36%対44%で前回の49%対36%から逆転した。
  これらの原因とみられる、菅首相の税制改革検討と消費税率10%に言及した発言には「評価する」意見が一定数あるものの、民主支持層でも「評価しない」が4割いる。  民主党が参院選のマニフェストで、衆院選の公約の一部をやめたり内容を変えたりしていることについては、「納得できる」43%、「納得できない」50%と意見が割れた。
  政党支持は民主が32%(前回40%)と減らしたほか、自民13%(同12%)など。

[朝日新聞 6月21日(月) 掲載記事から‐‐‐調査は6月19日(土)、20日(日)の両日に実施したとある]

     ★          ★

高橋洋一「日本の大問題が面白いほど解ける本」。地下鉄車内でもあっさりと読める。
東谷暁「エコノミストを格付けする」では、相当に低い評価を与えられていた高橋先生。郵政改革大反対の東谷さんだから、まあ当然か。
しかしながら、歴史が示すところ、マーケット・メカニズムを無視し、あるいは軽視するような政策は、長い目で見れば必ず破綻する。その意味からすると、「小さな政府」志向とは別次元の問題として、この本に示された論点の多くには納得せざるを得ない。
「埋蔵金」の指摘で有名となった天才的(元)財務官僚。財政問題では、「あげ潮派」を支えてきたこれまでの立場から微妙にスタンスを移しているようでもある。










| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010-06-10

@takagengen、「日本国憲法」を語る

高橋源一郎先生の「午前0時の小説ラジオ」。「古→新」の順番で並ぶツイート群が読みにくかったので順番を逆にして貼り付けていた。
しかし、いまさらになって「高橋源一郎のTwitlog」があるはずだと気づいた。このサービスは「新→古」に順番を入れ替えることができる。これからはここを読むことにしよう。したがって、この貼り付けシリーズはこれで終わりとするか。

今回は日本憲法論。憲法前文を書き直した学生さんの文章は、「13日間で「名文」を書けるようになる方法:」に載っていたはず。

  1. 「午前0時の小説ラジオ」・「憲法を書く、小説を書く」1…最初にお断りしておきますが、今日の(だけじゃないですが)議論は少々荒っぽいです。どんな議論も、とりわけ政治に関するものは「きわめて繊細な手つき」で行うものですが、時には「だいたいこんな感じ」でやった方がいい場合もあるのです。

  2. 「憲法」2…だいたい、「憲法」みたいに、何十年も徹底的に議論されてきたものを扱う時ほどそうです。みんながミリ単位の誤差に神経を研ぎ澄ませている時に、砲身を180度、反対に向けようというんです。「だいたいあっち」ぐらいのつもりでやらなきゃ、話にならない。その点を、お許しください。

  3. 「憲法」3…さて、「憲法」に関してなにか発言をしようとする時、困ることって、何だかわかりますか? これは、あまりいわれたことがないと思いますが、おそらく、みんな、内心ではそう思っている、という類のことです。その一つ目は「怒られる」ということです。なにかを思いついて話す、とします。

  4. 「憲法」4…「憲法9条って、なんかいいよね」という。すると、「改憲」派の人は「なにもわかっとらん!」と怒る。逆に「でも、北朝鮮がこわいから、自衛隊いるような気が…」というと、「護憲」派が「そういう態度だからダメ!」と怒る。その結果、どうなるか。「善意の第三者」がいなくなるのです。

  5. 「憲法」5…「善意の第三者」とは、特に政治的確信があるわけではなく、でもなんとなくこの社会が良くなったらいいなと思う人たちです。そういう人たちが「憲法」に近づくと、どこかから「ダメ!」とか「おまえは日本人か!」といった怒声が飛んでくる。結局、彼らはこの問題に近づかなくなるのです。

  6. 「憲法」6…もう一つの問題はさらに微妙です。たとえば、ぼくは、日本国憲法はけっこういいものだと思ってます。「9条」なんか特によろしい。でも、それを説明しようとすると、いつも暗い気分になる。なぜだと思いますか? それは、この問題が半世紀以上にわたって徹底的に議論されてきたからです。

  7. 「憲法」7…言い換えると、「改憲」と「護憲」は、それぞれ、鉄人や鉄人が精密な議論を重ねてきた結果、ある意味、論理としては限界に達してしまった。だから、我々は、「憲法」についてなにかいおうとすると「どこかの偉い人が考えた精密な論理」でいうしかいない。それも、繰り返し、です。

  8. 「憲法」8…「決定している論理」を繰り返しいうとどうなるか。自分の頭で考えたわけではなく理屈を何度もいうと、どうなるかは明白です。「バカになる」しかないのです。「護憲」や「改憲」の立場を死守できるのはいいかもしれないけど、「バカになる」のはごめんだ。だから、暗くなっちゃうのです。

  9. 「憲法」9…では、どうすればいいのか。「自分の頭で考える」、これしかありません。でも、これほどまでに精緻な議論を費やしてきた分野に、「自分の頭で考える」領分が残っているだろうか。長い間ぼくを悩ませていたのは、そのことでした。そして、ぼくは、ある決定的な本に出会うことになります。

  10. 「憲法」10…それは大塚英志さんが編集した『私たちが書く憲法前文』という本です。大塚さんは、「憲法」について考えるもっとも良い方法は、それを書いてみることだ、と考え、それを実行したのです。びっくりしました。なにかについて考えてみるいちばんいい方法はそれを「外」から見るのではなく…

  11. 「憲法」11…それを「内」から見ること、つまり、「書く」ことによって、「憲法」の内側に入り込んでしまうことだ、と大塚さんは考えたのです。ぼくが大学で教えはじめたのは、ちょうどその頃でした。ぼくは「憲法」を学生たちに書かせるようになりました。それは、まったく新しい経験だったのです。

  12. 「憲法」12…では、それはどんな経験だったのか。ぼくは「日本国憲法」を書いてもらいました。「前文」やたくさんの条項を。それから日本だけではなく別の国の憲法を、時には存在しない想像上の国の、あるいは存在することが不可能な国の憲法も。そして自分たちで作り上げた憲法を材料に考えたのです。

  13. 「憲法」13…それらはすべて具体的な材料を元にした議論でした。だから、残念ながら、この小さな場所に材料を持ち込んで、説明することはできません。それは、どこか別の場所に譲りたいと思っています。けれど、一つだけ、学生諸君が書いてくれた「憲法」を紹介しておきたいと思います。

  14. 「憲法」14…それは「憲法前文」なのですが、実はオリジナルの「憲法前文」とほとんど変わっていません。でも少しだけ変わっている。それも、おかしなところが。あるいは、繊細なところが。そこにどういう意味があり、ぼくたちがどんな議論を交わしたかは、最後にお話します。では、「前文」を。

  15. 「憲法」15…「日本国憲法前文 日本国民は、正当かどうか分からないがとにかく選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の災禍が起ることのないやうに

  16. 「憲法」16…すいません。15分以上「over capacity」で繋がりませんでした。続けます。「…出来る気がするので、主権が国民に存するっぽいことを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものらしく、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者…」

  17. 「憲法」17…「…らしい人がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受するそうだ。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものっぽいと思う。われらが、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除出来たらいいなあ。日本国民は、恒久の平和をとりあえず念願し、人間相互の」

  18. 「憲法」18…「…関係を支配する崇高な理想をなんとなく自覚しとけばいいのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義とやらに信頼すれば、われらの安全と生存を保持出来るでしょうと思った。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているらしい国際社会」

  19. 「憲法」19…「において、名誉ある地位を占められるのか分からない。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することは出来ないような気がする。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国は無視してはならないらしいの知っているけど

  20. 「憲法」20…「…政治道徳の法則は、普遍的なものなのか、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であるのかよく分からない。日本国民は、あるのかどうかよく分からない国家の名誉にかけて、この崇高な理想と目的を達成できたらいいなあと思う」

  21. 「憲法」21…ぼくは、この学生が書いた「憲法前文」に、ある意味で深い感銘を覚えました。この学生はオリジナルの「前文」を読んで、「よく出来ているし、カッコいいし、理想的だけど、わたしの言葉じゃない」と思ったのです。そして「自分で確実に理解できること」だけを選んで自分の「前文」にした

  22. 「憲法」22…それは、言い換えるなら「私」から発して「公」へ至る道を考えようとした、ということです。憲法前文というような「公」の文にしては、これはあまりに「私的」すぎるでしょうか。ぼくは、そうは思いません。少なくとも、「公」への長い道の出発点は、そこからであるべきだと思うのです。

  23. 「憲法」23…学生たちの「憲法」や「法」をめぐる思索は、自らそれを作ることを媒介することによって、驚くほど深まります。それがどのようなものであるかもまた、残念ながら、ここで紹介することはできません。けれど、その学生たちの試行を目にして、ぼくは、自分でも驚くような結論に達したのです

  24. 「憲法」24…それは、「英明な、賢明な、鉄人たちによって作られる最高の憲法」の下で生きるより、もしかしたら、それほどたいしたものではない憲法の下であっても「みんなが憲法を書いてみる習慣のある国」で生きることの方が、豊かで、価値があって、面白いかもしれない、という思いです。

  25. 「憲法」25…素晴らしい憲法の下で生きることは、素敵でしょう。でも、法律とか憲法について考えなくなる可能性が大です。問題の多い憲法の下で生きる人間は、考える材料には事欠かない。「法」とは何か。「法」によって支配される国家とは何か。それは、彼らの「思考」という筋力を鍛えるはずです。

  26. 「憲法」26…一度でも「憲法」を書いた経験のある人間は、「法」というものが「誰かが作った動かせないもの」ではなく、「どのようにでも書き得るもの」だと思うようになります。なにより、それは、いますぐ、どこでも始めることができるのです。長々と、ご静聴ありがとうございました。お終いです。

       ★              ★

「ウォーホルの芸術」は、移動時や待ち時間などに数ページずつ読み進んだ。
20世紀のアメリカを範とする後期資本主義(消費-情報資本主義)が生んだ「孤独なトリックスター」の生の軌跡。
ウォーホルは、週に何度も教会に礼拝に通う熱心なカトリック教徒だった。それからすると、彼の作品は教会のイコン(icon)と同じく、その根底において一種のアイコン(icon)と考えるのが自然だ、と著者は解釈する。なるほど。
彼をスーパーセレブにするとともに、最終的には彼とその作品を一種の「神話」にまで祭り上げたシステムに向けて、ウォーホルは「システム像」のアイコンを差し出したのだろう。
彼が見つめ続けたシステムとは、アメリカ社会、豊かな社会、大衆社会、メディア社会、高度情報資本主義……などなど、用法によって何とでも命名されるに違いない。

ヒット作「ルポ 貧困大国アメリカ 」。二匹目のどじょうが「Ⅱ」。病院のベッドで読んだはずだが、内容はほとんど覚えていない。ただ、低賃金を求めて世界をさすらグローバル資本が、ぐるりと地球を一巡してアメリカ帝国内の刑務所に「世界で最も安上がりの労働力」を見出していくあたりが記憶に残っている。
地球大に拡張された飽きなき欲望は、とうとう真正の奴隷制を要求するに至ったのか。そのあたりが印象的だったな。











| | コメント (0) | トラックバック (0)

@takagengen、「教わる」を語る

高橋源一郎先生の「午前0時の小説ラジオ」。この夜のテーマは教育論、コミュニケーション論。これまでの政治論を敷衍した形だが、逆に政治を語るために迂回路という捉え方もできるか。

    1. 「午前0時の小説ラジオ」・「学生たちに教わる、子どもたちに育てられる、自分の作品の読者になる」の1・いま、話題の、マイケル・サンデルの『これから「正義」の話をしよう』を読んでいます。面白いですね、いろいろ。でも、今日は、サンデルの話じゃなく、サンデルが引用しているミルの言葉から。
    2. 「教わる」2…ミルの言葉はこういうものです。「人間の能力は、知覚、判断力、識別感覚、知的活動、さらには道徳的な評価さえも、何かを選ぶことによってのみ発揮される。何事もそれが習慣だからという理由で行なう人は、何も選ばない。最善のものを識別することにも、希求することにも習熟しない…」
    3. 「教わる」3…「…知性や特性は、筋力と同じで、使うことによってしか鍛えられない……世間や身近な人びとに自分の人生の計画を選んだもらう者は、猿のような物真似の能力があれば、それ以上の能力は必要ない。自分の計画をみずから選ぶ者は、あらゆる能力を駆使する」。うん、その通り!
    4. 「教わる」4…ミルの言葉の中心は、「知性や特性は、筋力と同じで、使うことによってしか鍛えられない」というところにあると思います。そして、ミルのこの考えは、ミルが学校教育ではなく、ミルの父親によるある種の天才教育を受けたことによって生まれたのではないか、とぼくは考えています。
    5. 「教わる」5…ぼくが大学で教えるようになって6年目です。いつも思うのは、1年生として入ってくる若者たちの頭の固さです。もう常識でがちがちに固められている。気の毒なぐらい。だから、最初のうち、ぼくが学生たちにするのは、ある種の整体、精神的なマッサージです。他にはなにもしません。
    6. 「教わる」6…学生たちが講義の最初に訊きます。「出席はとりますか? どのくらい欠席すると落ちますか? 評価の基準は?」。で、ぼくは「なにも決まってません」といいます。学生諸君は不安そうな顔つきになる。ぼくは心の中で「ごめんね」といいます。でも、一回、不安にならなきゃなりません。
    7. 「教わる」7…授業が始まる。窓の外は抜けるように青い空。で、外を眺めてから、ひとこと。「あのね。ずっと欠席してない人、たくさんいるよね。向学心旺盛ですごくいいけど、人生、勉強ばかりじゃありません。たとえば、どうしても、恋人と離れがたいとか、そういう日は断固して、そっちを優先!」
    8. 「教わる」8…それがどんなものであれ、なにかを教えたり、教わったりするには、「自分の人生の計画をみずから選ぶ」ことができる必要があるのです。やがて、学生諸君は、徐々に「自分で選ぶ」ことができるようになる。それは聞くべきことなのか。自分はなにを知りたいのか。なにを知らないのか。
    9. 「教わる」9…ひとたび常識を離れることを知った学生たちは、たくさんのことをぼくに教えてくれるようになります。ぼくが「教える」のじゃありません。ぼくが「教わる」ようになるのです。ぼくは大学で「教える」ようになって、教育というものが実は小説(文学)とよく似ていることに気づいたのです。
    10. 「教わる」10…そのもっとも素晴らしい例が「ゾーン」体験です。ぼくと学生たちが、教室で一つの小説について論じています。集団である作品について論じる時、ひとりで読む時とは異なったことが起こることは知っていました。たとえば文学賞の選考会です。いい選考会のいい選考委員の態度はいつも同じ。
    11. 「教わる」11…「この作品については自分でもよくわからないところがあります。今日はみなさんの話を聞いて考えたいです」、これです。これは、決して無責任な態度ではありません。全身全霊で読んでなお、未解決の部分がいくつもある。これは、ある意味で、優れた作品の特徴でもあります。
    12. 「教わる」12…そのような真摯な態度の選考委員たちが討議をしていくと、不思議なことが起こります。まず、ひとりでは思いもつかなかった考えが生まれ、やがてその考えがまるで自分が考えたかのように強い確信を持って、自分の中で生きるようになる。ぼくはそれを「ゾーンに入る」と呼んでいます。
    13. 「教わる」13…授業中に「ゾーン」に入ることがあるのです。面白い小説の面白い部分、あるいは謎めいた部分について、考えつづけている。誰があることをいう。それは鋭い。別の誰かが、その意見、さらに飛躍させるような意見をいう。みんながうなる。すると、また別のところから。すべては即興です。
    14. 「教わる」14…そんな授業が終わると、生徒たちは、すっかり興奮して「先生、なんかすごかったね」とか「先生、90分でこんなに真剣に考えたのは生まれて始めて」とか「どうしよう、ふつうに生きていけない」とかいいます。みんな、ぼくが「教えた」のではなく、全員で作り上げた「ゾーン」のせい。
    15. 「教わる」15…「言語表現法講義」という授業(『13日間で「名文」を書けるようになる方法』というタイトルで本にしました)で、こんなことがありました。その時は「ラブレター」を書かせる授業でした。書かせたものは、本人に読ませます。ぼくは、ぼくのゼミの学生ふたりに読ませました。
    16. 「教わる」16…その時、ぼくは、長く付き合ったふたりが、数日前に修羅場の果てに別れた直後だということは知りませんでした! ふたりが読んだ「ラブレター」は、すさまじい愛の葛藤の実況報告でした。教室は一瞬凍りつき、重苦しい雰囲気に包まれ、それから、突然、「ゾーン」に入ったのです。
    17. 「教わる」17…学生たちは感想を言い合い、自分の体験を語り、そして、言葉によるコミュニケーションの持つ本質的な無力さと、それにも関わらず、言葉しかコミュニケーションの手段がない人間の存在について語りました。きわめて深く。しかも、ぼくは、ほとんど一言もしゃべる必要がなかったのです。
    18. 「教わる」18…「ゾーン」では何が起こっているのでしょう。おそらく、二つのことが起こっています。一つは、その中にいる者はひたすら「耳を澄ませて聞こうとしている」のです。もちろん、それは「考えている」と言い換えてもかまいません。でも、ぼくは「耳を澄ませて聞く」の方が近いと思うのです。
    19. 「教わる」19…もう一つは「『私』が薄くなっている」ということです。「耳を澄ます」を、別の言い方にしたといってもいいかもしれません。ふだん、我々は「自分」を主張します。「自分の意見」を聞いてもらいたがる。でも、それでは「ゾーン」に、というか「集合知」にたどり着くことはできません。
    20. 「教わる」20…では、「ゾーン」は特殊な体験でしょうか。いや、そんなことはありません。作家は、小説を書く時、物語を考えたり、描写をどうしようと考えたりばかりしているわけじゃありません。自分の作品の中で、静かに「耳を澄まし」、そこで何が起ころうとしているのか探っているのです。
    21. 「教わる」21…自分でも知らない場所、未知の経験にたどり着くことこそ、「知性や特性」の目標ではないでしょうか。そして、そのためには「筋力」を鍛えるように、訓練をしなきゃならない。もちろん、ひとりでできる訓練もあります。密かに、知性を鍛えるのです。しかし、それだけでは足りないのです。
    22. 「教わる」22…それは、個人が集団の中に解消する、ことを意味するわけではありません。しかし、「教える」「教わる」の中には、我々をさらに遠くへ導くことのできる力が、通常知られているものとは異なった能力がある、とぼくは思っています。 2010年6月7日 1:01:39 webから
    23. 「教わる」23…それは、通日前ツイートしたように、「政治的アクション」の原則に「自分の意見を変える」というものを入れたことにも繋がっています。我々には多くの能力があります。そして、それは、常識によって、使われないままになっているだけなのです。今日はここまで。ご静聴ありがとう。

      ★            ★

知らず知らずのうちに、伊坂作品によく触れていることに気づく。借り先に新作がよく入るという事情があるのだが、読みやすくて肩が凝らないことも、よく手に取る理由なんだろうと思う。
マジックリアリズムの影響を受けているようで、そのせいか村上春樹のエピゴーネンふうに見えるところもある。
その時々の社会風潮やメディアで話題の事件をしばしば題材にする。作品のリアリズムを担保する安直で確実な方法ではある。その意味でエンターテイメントの王道を行くという感じが強い。

「モダンタイムス」という作品には、よく分からないところがあり、もやっとした違和感を感じたが(モダンタイムス、病室で読むエンターテイメント: 小さなメモ帳)、「魔王」を読んで、なるほどと納得できた。「モダンタイムス」は、「魔王」の続編という位置づけになるようだ。伊坂ファンならば、当然に知っていること。不明を恥じる。









| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010-06-06

@takagengen、楽しい政治を語る

高橋源一郎さんがTwitterで語る「午前0時の小説ラジオ」。彼のTwitterによって発信される深夜の政治論の第2回目ということになるのかな。
今度のタイトルは「楽しい政治」。面白そうなので、自分が読みやすいように勝手に引用させてもらうことにした。悪しからず。

こうしてみると、Twitterというツールは有名人(セレブ)たちにとって、コストのかからない優れたプロパガンダ手段であることが分かる。源一郎先生のこの試みにしても、近作「『悪』と戦う」の販売促進のためのキャンペーンとして始まったようなものだ。

源一郎先生に限ったことではないが、セレブたちの「囀り」は、ネットワーク理論でいうところの「ハブ」を形成し、アクセスの集約的な中心核として機能することだろう。その点でいえば、相互的なコミュニケーションの手段として喧伝されることの多いTwitterにしても、ブログなどのウェブサイトと大した違いはない。

セレブの「囀り」が「ハブ」となるのであれば、その他大勢の有象無象の「囀り」は、どうなんだろう?
おそらく、ほとんどは「誰もが互いに聞きたくもない独り言」として垂れ流されるだけ。そう思うと自分としては、なるべく「囀らないほうがいい」と思うようになった。
確かに自分の「囀り」のような「ノイズ」にも、情報論的には意味が隠されていることもあるだろうけれど(「宇宙マイクロ波背景放射 - Wikipedia」の発見はノイズの検出からだった)、一般的には雑音は雑音でしかない。その限りにおいて、ネット世界はTwitterが普及する前も後も相変わらず、不均衡かつ不平等な世界であり続けているのだろう。

高橋源一郎 @takagengen

  1. 「午前0時の小説ラジオ」・「楽しい政治」1…およそ40年ほど前のことです。その頃、日本中の大 学で「70年安保闘争」のためのバリケードが作られていました。その大学でも同じでした。そして、学生たちは、バリケードの中で、本を読んだり、討論した り、寝たり、恋愛したりしていたのです。
  2. 「楽しい政治」2…そんな、あるバリケードの中で、Aさんという女の子が、デモの時にかぶるヘル メットを眺めていて、突然「こんなのかぶってても楽しくない!」と叫んだのですた。そして、Aさんはいきなり姿を消すと、両手一杯のバラの花を持って現 れ、ヘルメットに一つずつ貼り付けていったのでした。
  3. 楽しい政治」3…バラ付きのヘルメットをかぶるデモが楽しいかどうかはわかりません が、確かに、そのヘルメットをかぶると、むちゃくちゃたくさんカンパのお金が集まったのは確かでした。その後も、Aさんは(音楽科だったので)、オペラの メロディで「インターナショナル」を歌ってみたり……
  4. 「楽しい政治」4…「佐藤内閣打倒・一晩中ビートルズで踊る夜」を企画して、空 前の数の学生を集め、そのまま翌日デモに行ったりしたのです。その「ビートルズで踊る夜」の時のことです。Aさんの「楽しい」やり方に反感を抱いていた、 「真剣に政治を考える」党派の学生が、会場に乗り込んできました。
  5. 「楽しい政治」5…「楽しければいいのか! もっとマジメに政治を考えろ」という学生に向かってAさんはいいました。「楽しくって、悪いか!」。それから2年「マジメに政治を考えろ」といった学生が 一人残らず、就職したり政治から離れた中で、Aさんだけが変わらず「楽しい政治活動」をしていました。
  6. 「楽しい政治」6…ぼくがAさんに 最後に会ったのは、それからさらに 2年後。桜木町の路上でぱったり。Aさんは水商売をしていて、「水商売をしている女の子たちの組織化」を「楽しく」やっているようでした。「タカハシく ん、子育てしてるんだって? 楽しい?」「うーん」とぼくはうなりました。
  7. 「楽しい政治」7…「あんたねえ、子育ては革命なのよ! 楽しくやんなきゃダメたってば!」 そういえば、Aさんはシングルマザーで子育てしてるという噂でした。「じゃあね」といって、Aさんは立ち去りました。最初に会った時から終始一貫、同じ格 好の超ミニスカートをはいて。
  8. 「楽しい政治」8…この国で政治を論じる人は、どうして、あんなに苦々しそうに、いうのでしょうね。マジメ な顔つきか、怒った顔つきか、うんざりしたような顔つきじゃなきゃ、政治について論じてはいけないのでしょうか。なんか、変だと思ってきたんです。政治っ て、そんなに楽しくないものなのか。
  9. 「楽しい政治」9…それが、人間にとってほんとうに必要なものであるなら、それは人を喜ばすことがで きるはずじゃないでしょうか。ぼくは、一方にAさんを思い浮かべ、そしてもう一方に「楽しくない政治」に関わったせいで死んでしまった友人たちを思い浮か べては、そう思ってきたのでした。
  10. 「楽しい政治」10…では、「楽しい政治」ってなんだ、ってことになりますね。別に、特別なものじゃあ りません。政治的問題に「原理的」に「現実的」に「思いつき」で対応する。それでいい。それで楽しくなる。それで楽しくならなかったら、たぶんどこかで間 違ったと思った方がいい。具体的にいいます。
  11. 「楽しい政治」11…ここ数日のものすごい数のリプライで多かったのは「原則には共感する。 でも、実際にはどう考えるのか」というものでした。一つ、やってみましょう。例はなんでもいいです。わかりやすいところで、日韓両国が領有をめぐって争っ ている「竹島」問題の「解決法」に考えてみます。 about 12 hours ago webから
  12. 「楽しい政治」12…「竹島」問題 「解決策」の1…竹島(東島・西島を含む全岩礁)を青い布で覆う…なんのことだかわからないって? もしぼくが宇宙人だとして、竹島の領有をめぐって二つの国が争っているのを見たら不思議に思うでしょう。「地球人諸君、きみたち、解決策を知ってるじゃな いか」と。
  13. 「楽しい政治」13…梱包芸術家クリストは、巨大な島を布でおおい、そこには何もないよといいました。人間には「想像力」が あって、目に見えるものを見えないといったり、目に見えないものを見えるといったりする。芸術にできるなら、政治にできないわけがない。あそこは海だと思 うことにするのです。
  14. 「楽しい政治」14…「竹島」問題「解決策」の2…領有権が決するまで(ということは永遠に)竹島を国連の信託統治 下に置く(可能です)。その上で、国連が主催する巨大カジノを作り、その収益をすべて難民のために使用する。「悪をもって善をつくる」というわけです。
  15. 「楽 しい政治」15…「竹島」問題「解決策」の3…常設国連軍(そのうち説明します)の演習基地とする。砲弾やミサイルを打ち込み続け、0・23平方キロしか ないこの岩礁を消滅させてしまう。なにもなければ争いも起こり得ませんね。竹島が消滅したら、次の演習地は、次の領有権係争地に移りましょう。
  16. 「楽 しい政治」16…ぼくの「竹島」問題「解決策」は、ふざけていると思いますか。とんでもない。逆です。現在の国民国家という制度の下では「領土」問題は解 決できません。それが「原理」です。「領土」問題は国民国家というシステムの「外」に出ることによってしか真に「解決」することはないのです。
  17. 「楽 しい政治」17…テレビや新聞や雑誌で、政治をめぐる問題を、「専門家」たちが、難しそうな顔つきで「現実的」に語っているとしたら、疑うべきです。ほん とうに、それが問題なのか。他に解決策はないのか。彼らは、いまある現実をすべて受け入れた上で議論しているだけではないのか、と。
  18. 「楽 しい政治」18…普天間基地を含む米軍基地はすべて撤去する、これがぼくの考えるもっとも「原理的」かつ「現実的」な案です(ただし、もっと「原理的」で 「現実的」で有効な案があれば、すぐに、それに乗り換えるということはいってありますね)。その理由についてはまた話す機会があるでしょう。
  19. 「楽 しい政治」19…政治もまた我々の「現実」です。だから、我々はあらん限りの「智恵」と「想像力」を用いて、それを「有効」に使う術を知るべきです。こん な面白い事柄を「専門家」だけに任せるなんてあまりにもったいない。「専門家は保守的だ」。これはぼくの好きな言葉です。そう思いませんか?
  20. 「楽 しい政治」20…「外国人参政権」をめぐって「すべての在日外国人に地方・中央を問わず完全な選挙権を与えよ」といった人がいます。明治14年、大日本帝 国憲法に先んじて出された、植木枝盛の「東洋大日本国国憲案」第 4編・40条の内容です。いまの日本人より遥かに「面白い」じゃありませんか。
  21. 「楽 しい政治」21…植木枝盛たち当時の民間憲法制作者たち(何十も!)の作った憲法がどれも滅法「面白い」のは「原理的」だからです。そして、彼らが「原理 的」だったのは、政治というものが他人のものではなく自分たちのものだと考えていたからです。負けちゃいられませんよね。今夜は、ここまで。

     ★            ★

高橋源一郎作品はたった1つ。残りはずいぶん前に読み終えたもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010-06-03

@takagengen、政治についての原則を語る

鳩山首相の辞任。政治について、高橋源一郎(@takagengen)さんがTwitterで語っている。
勝手に引用させてもらうことにした。

昨日夕刻、鳩山首相の辞任に関するツイートを始めてから、ほぼ一日で1000人近くフォロワーが増えました。リプライもたくさんありました。その多くは「共感するが、具体的にはどうするべきなのか」というものでした。ここは、具体的な提案を早急にする場所でありませんが、原則なら語れると思います

いまからツイートするのは、ぼくが「政治的アクション・政治的言論」に関して原則とすべき、と考えていることです。それは政治的事件や政策への批判、なんらかの提案、具体的な行動、等々、政治に関する関わりのすべてを含む政治的アクションを起こすにあたって、守るべきことと考えているものです。

  • 原則1・「批判」は「対案」を抱いて臨むべし……政治的問題を批判する時、単なる批判ではなく、なんらかの「対案」を抱いてからあたるべきです。「××の〇〇という政策は愚か」ではなく「××の〇〇という政策で、△△は評価に値するが、□□は▲▲へ代替すべき」という語法で語るべきです。
  • 原則2・「対案」は「原理的」「現実的」「応急」「思いつき」のいずれでも良し……政治的問題に「正解」はありません。ただ「最適解」が存在するだけです。必要なのは、「最適解」に至る材料を提出することです。「言わない」ことがいちばんまずいのです。なぜ、批判だけするのか。
  • 原則3・「自分の意見」は変わるべし…「対案」として「自分の意見」を提出しても、固執する必要はありません。というか、よりましな意見を目にしたら、「即座に変える」べきだとぼくは考えます。なぜなら、「対案」もまた「叩き台」にすぎないからです。一人より複数の智恵を参考にすべきです。
  • 原則4・「対立する相手」の意見にこそ耳をかたむけるべし…もっとも本質的な批判は、対立者からのものです。だから、その意見にこそ耳をかたむなければなりません。同調者や支持者の意見は、耳に優しいものですが、自分の「対案」を、「よりまし」にする力にはならないからです。

  • 原則5・「寛容」をもって臨むべし……「対立」する意見を持つ「対立者」を「敵」と考えてはなりません。「対立者」もまた、同じこの共同体を構成する、かけがえのない成員なのですから。だから、「非国民」「売国奴」「愚か者」のような言葉を決して使ってはなりません。

以上が、ぼくの考える「原則」です。そして、当然、その「原則」も、より優れた「原則」があれば、すぐに撤回するでしょう。政治は、ある意味で「現実」の仕事です。具体的な問題への具体的な回答です。それに応答する準備はできています。だからこそ、いま、「原則」について語ろうと思ったのでした。

けれど、いまでは、もう少し異なった理由から、この原則を採用するようになりました。それが、「政治的問題に頭を突っ込む理由」です。

  • 理由1・ぼくには、いま、4歳と5歳の子どもがいて、彼らに「いまよりましな社会=政治システム」を送り届けたいと考えています。それは個人的な感慨にすぎません。ぼくは、それを、もう少し、普遍的な言葉で言い直すことができる、と考えています。
  • 理由2・それは「ある共同体の成員は、まだ生まれていない、その共同体の未来の子どもたちに対して責務がある」と感じることです。「公共性」は、この「責務」感にこそ、礎を置くべきだとぼくは思うのです。この「責務」感は、ぼくの発見でありません。ベネディンク・アンダーソンが『比較の亡霊』の中で、成熟した国民国家の成員たちの「公共性」の基礎に見いだした感情でした。「公共」とは、目に見えるものだけではなく、目に見えないものへの「信頼」によって成立させなければならない、とアンダーソンは考えました。ぼくは、その考えに深く同意します。それは異様な意見でしょうか?
  • 理由3…文学もまた、アンダーソンの「公共」と同じように、遥か昔に亡くなった者のことばを受け取り、それを、まだ生まれぬ未来の誰かに手渡す仕事をしています。その意味では、文学は、正しく「公共」を目指して書かれるのです。目の前にいる者だけではなく、まだ存在していない者に手渡すために。
  • 理由4…だから、ぼくの中で、「文学」と「政治」は、「未来の共同体」へ向かう「公共性」の一点で、結びついているのです。そこにこそすべの「公」の基礎があります。もちろん、このような「公共」に参加しない自由も、ぼくたちは持っているのですが。

      ★                 ★

ナシーム・タレブ「ブラック・スワン」は叙述のしかたが気に入らない。というか、こちらの頭がついていけないんだろうな。









| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »