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2009-08-09

動的平衡と脳科学、1Q84、くまちゃん

現代科学の最前線からの報告。ともに面白いかったが、この手の科学読み物にも幾分か飽きがきた感じもする。庶民=大衆の最大の特徴は、理不尽なほどに「飽きっぽい」ことである。

福岡伸一「動的平衡」。身体に入る食物は分子レベルでバラバラにされてしまうのだ。「ヒアルロン酸・皇潤」を飲んだからって、婆ちゃん、膝の痛みは治らないんだってさ。

池谷裕二「単純な脳、複雑な『私』」は前著「進化しすぎた脳」に引き続き、今度も高校生を相手とする大講義である。脳科学の最前線の知見を母校の生徒諸君に語る。
著者の信念は、物理学者リチャード・ファインマンと同じく「高校生レベルに話して理解させられなければ、その人は科学を理解していることにはならない」というもの。この信念は、先のメモに記した大人たちの「知的欲求」とも幸福に結びつくはず。当然に販売部数の上昇カーブをも想定してのことだろう。

村上春樹「1Q84」。1、2巻ともに販売数が100万部を超えたとか。「ダブルミリオン」というそうである。
ミリオンセラーに至るまでの期間の短さを考えると、この売れ方自体が、いまの時代にあっては「驚くべき事件」というべきだろう。
発売日の前日(なぜか近くの大型書店に平積みされていた)に購入して、すぐに読み終えた。
1巻目の最初のページから2巻目の最後のページまで息もつかせずに「読まされて」しまった。まるでテキストが隠し持つ潜性的なエネルギーにさらわれるような感じ。こんな読書は実に久しぶりだった。
作品の内容についてどうこういえる身でもないし、作品全体に散りばめられた複雑な仕掛けや魅力的なオブジェクトに目が眩んでしまい、そうそう簡単に語れそうもない。
Tiny Notepad: Haruki Murakami fans snap up latest novel 1Q84 after five-year wait | Books | guardian.co.uk」にも同じようなことを書いた。

角田光代「くまちゃん」も素晴らしい作品。一つ一つの章がそれぞれ魅力的な短編作品であり、単なる短編集として読むこともできる。
だが、それらの独立可能な作品は、登場人物の「関係」を通して緩やかにつながっている。
「つながり」を追うことで、次第に浮上してくる全体的な構図。それは他者との出会いと別れを繰り返さざるを得ない人生の本質的な様相である。
それぞれにとっての人生。その茫漠とした不確かなものに対して、とりあえず「人生とは、それぞれが他者との間に取り結ぶ交通の全体である」とでも定義するならば、この作品でオレらが味わうのは、ルーペの前に差し出された「人生=交通」の薄片をじっと覗き込むような感覚である。
タイトルにもなっている「くまちゃん」のイラストは、著名な「アーティスト」の作品だとされている。だが、「アーティスト」が詳しく描き出されることはない。ただ、静かな灯台のように、登場人物たちの背後から微かな光の帯を投げかけてくるだけである。
静かな灯台が放つおぼろげな光。その微かな輝きが登場人物たちのエピソードを緩やかに包み込み、不思議なバインダーのようにつなぎ合わせてしまうのだ。ホントにうまいなあ。

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