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2009-07-29

気持ちのよい内田樹、宮台真司のリアルな闘い

内田樹の本は、どれを読んでも「ハズレ」がない。「現代思想のパフォーマンス」は難波江和英との共著だが、内田が担当している部分はその文章の流れで何となく分かる。

一方、「こんな日本でよかったね」は、収録された文章の多くがすでに「彼のブログ」で発表済みである。そのため、「あれ、これって読んだっけ?」といった「既読感」に襲われることになる。ブログに掲載済みの文章なのだから、たまたまブログで読んでいれば、当然に「既読感」を得るわけで、そこには何の不思議もない。
だが、翻って考えると、この種の「既読感」というのは、ブログ云々以前から読書という行為に付随するおなじみの感覚の一つではなかったか。その多くは、いうまでもなく読み手の側の記憶の混乱に起因するのだが、別の見方をすれば、この記憶の乱れは活字を追うというプロセスが生じさせる「夢想的な時間」の感覚でもある。読書を重ねることで、ようやく到達できる魅力的な錯覚=幻想的境地と考えることもできる。
だが、「こんな日本でよかったね」における「既読感」には、そのような幻想的意味はない。それは記憶の正当な証明なのであり、本質的には「夢想」の到来などとは無縁なのである。
内田は「テクストはオープンソースとして取り扱われるべき」と主張している(「著者様」と呼ばれて (内田樹の研究室))。そもそもオープンソースか否かを問わず、すでに多くのテクストがウェブ公開され、しかる後に書物として編集されるという現実がある。この本に感じた「既読感」の変容は、書物の未来のあり方を示唆するものかもしれない。

だが、内田樹の著作が醸し出す「既読感」には、別種の意味が宿っているという解釈もできる。彼の文章の多くが、意図的に読者の「既読感」を喚起するように書かれているからである。
内田は読者が慣れ親しんだお馴染みの「言説=パターン」を計算ずくで繰り返す。彼には「反復」という概念こそが快感の源泉であるとする理論的信憑がある(内田樹の研究室: 反復の快)。また、その言語=テクストに対する見方も「気持ちがよい」が基準であり、言語教育においても身体的な快感を呼び起こすようなリズミカルな「型=パターン」の習得を優先すべし、という主張をしている(国語教育について (内田樹の研究室))。したがって、テクスト産出者として、内田は「気持ちのよい文章」を善とし、もっぱら気持ちのよさを引き出す「反復するパターン」の構成に策を練ることになるのだろう。
こうした言語=テクスト観は、社会的な観点からすると、「大衆文化」や「大衆芸能」の論理と大きく違わない。優れた大衆文化の担い手たちができるだけ多くの「観客・読者」の快楽を引き出そうと重ねる苦闘の中心は、「型=パターン」の創出であり、その「反復」の方法論の構築と破壊にある。
その意味からすると、内田樹の才能と功績は「哲学=思想」において、その「大衆文化」化をはかり、あるいは「大衆芸能」化を進めた、というあたりにあるのかもしれない。
内田のテクストのこうした側面に対して、経済学者の池田信夫などは、自らのブログで幾分か嘲笑的な批判を何度か書き留めている(こんな日本でよかったね - 池田信夫 blog)。
だが、先のメモでも記したように、いま、この国の普通の人々は「難しいことを簡単に分かりたい」と願っているのである。その願いは、単なる趣味や好奇心のレベルを超えて、知識産業化する社会を生き抜くための決意と直結しているといわざるを得ない。それを考えると、「哲学=思想の大衆化」のどこが悪いのだろう、との反論が聞こえてくるはずである。

新書の体裁を取っている宮台真司「日本の難点」だが、内容的には実に盛りだくさんである。しかも、相当に難しいことを述べているので、いささか消化不良の印象を否めない。
この本があっという間に10万部以上売れたというのだから、この国の「読者」層もバカにはできないぞ、と思う。だが、同時に幾分か眉に唾をつけたくもなる。「あんまり分からんかったオレはバカなのか、あるいは10万人の多くも分からんかったのか」、そういう疑いである。
半世紀以上も続く「合法的独裁国家」にも、ようやく「政権交代」という雪解けの季節がやってきそうだ。流動的な状況の到来である。権力への野心に身を焦がす連中の右往左往も、そこかしこで始まっている。
同じような右往左往を見せつけられるのであれば、少しはまともな「アウトプット=結末」を見たいものだ。これが庶民の正直な気分ではないか。
そんな気持ちを込めて、現代ニッポンが生んだ稀有な「戦略的知性=Miyadai」に申し上げることがあるとすれば、「ここが、ロードス島だ、さあここで飛べ」という言葉かもしれない。
リアルポリティックスのドロドロの世界の真っ只中に、宮台社会学=思想をしゃにむに貫入させてみる。行間から「それも『あり』だよ」と著者の声がかすかに漏れ聞こえてくるように感じる。この本をそんなふうに読むことも、それこそ「あり」だろうな、と思った。

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