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2007-11-27

週末の読書、ソ連崩壊、バブル紳士・・・

1年ぶり。忘れていたに等しい。
だが、左に写るワン公には、この夏、ガブリと右手を咬まれた。
おのれ、ラクの野郎。忘れまじ。

週末、2冊の本を読み終えた。

  1. 自壊する帝国
  2. 反転―闇社会の守護神と呼ばれて

ともに面白く読めた。
だが、結論からいうと、1は2に比べて3倍ほど面白い。

この2冊には、大きな共通点がある。ともに「歴史」の変動期に立ち会い、そこでの経験を丹念に記録したものだからである。著者自身が登場人物として、「歴史」に翻弄され漂流するという点も共通している。
一方が「外務省のラスプーチン」ならば、他方は「東京地検特捜部の鬼検事」。ともに紆余曲折を経て、東京拘置所の塀の内側に拘禁されたあたりも共通している。

しかし、両者は決定的に異なる。まずは、テーマの「大きさ」が月とスッポンほど違う。

1が描き出すのは、ソ連崩壊の渦中で翻弄される人々の姿である。著者自身も歴史の奔流に揉みくちゃにされる。

これに対して、2は1980年代末のバブル景気のなかで踊る「バブル紳士」とよばれたオッサンたちとそこに群がる政治家などの姿を描き出す。顧問弁護士だった著者も群がった1人として登場する。

2に描き出されるニッポンのオッサンたちの姿は、それなりに面白い。だが、1の登場人物である党官僚や民族主義者、得体の知れない宗教家などなど、計り知れないスケールの怪人物像に較べると、いかにも卑小かつ滑稽である。

その理由を説明するのは、簡単である。小さなニッポンの卑小かつ滑稽な「バブル紳士」を突き動かすアルファとオメガは、「カネ」だ。そこには「カネ」以外の理念など何もない。言うまでもなく、「バブル紳士」は戯画的にデフォルメされた日本人そのものである。
その意味で、この国を突き動かしている原理は「カネ」以外の何ものでもないということがよく分かって、なにやら情けなくなる。そのことをしっかり知らしめてくれる点で、2を読む価値はある。

一方、ソ連崩壊というプロセスのなかで闘う「ロシア紳士」たちは、まったく違う。国家という観念、ロシアという理念、宗教という基礎をめぐり、必死の形相で命をかけた闘いを続けるのだ。
もちろん、その闘いの派生要素として「カネ」や「オンナ」も出てくる。だが、決して「カネ」が最終的な原理(アルファとオメガ)なのではない。「カネ」で片が付くような世界とは訳が違うのだ。スケールが異なるのである。

余計なことだが、1と2では文章の質が致命的に異なる。叙述の巧みさ、表現の精確さ、リズミカルな文章の心地良さにおいて、1は格別の次元に位置する。
佐藤優の本に「スカ」はない。

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