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2006-01-06

JFK暗殺、マス=メディア、深まる謎・・・

JFK暗殺にかかわるメモを書く。年明け早々に暗い話である。しかも、その中味といえば、いささか「眉唾物」にも思えるもの。「小さなメモ帳」には、たいへんふさわしい2006年のスタートというべきだ。

はじめは「Tiny Notepad」のほうに簡単にメモしようと思っていた。だが、ダラダラと書いているうちに長くなってしまい、こっちのほうに載せることにした。他人様には意味をなさないメモではあるが、それなりに(「自分的には」あるいは「オレ的には」だね・・・嫌なコトバだけど)分類基準めいたものがあるのだ。どんな「一人遊び」にもルールみたいなものってあるだろ?

さて、本題に入ろう。「BBC NEWS | JFK assassination 'was Cuba plot'」によれば、JFK暗殺に関する新しいドキュメンタリーフィルムが制作され、そのなかで「暗殺を主導したのはキューバの諜報機関だ」という主張が展開されているという。3年におよぶ調査により、キューバ、ロシア、アメリカから新たな証拠が得られたというのだ。

その1つが元キューバ諜報員のオスカー=マリーノ(Oscar Marino)という男の証言。それによると、「ハバナ(キューバ政府)がオズワルドを使っていた」のであり、「キューバ人はケネディ大統領が死ぬことを望んでいた。なぜならば彼はキューバ革命に反対し、フィデル=カストロ首相を殺そうとしていたからだ」とのこと。さらに、この元諜報員はこんなことも述べている。

Mr Marino told film director Wilfried Huismann that he knew for certain the assassination was an operation run by the Cuban secret service G2, but he declined to say whether it had been ordered by Mr Castro.(マリーノ氏は制作者のウィルフリッド=ユイスマン氏に対して、暗殺がキューバ秘密諜報機関G2によって行われたのは確かなことだと述べた。だが、その命令がカストロ首相から出されたものかどうかについては、明言を避けた。)
キューバの諜報機関は、オズワルドが3年間のソ連亡命からアメリカに帰国した1962年にソ連のKGBから通報を受けて、彼と接触するようになったという。元諜報員マリーノ氏は語る。
"He [Oswald] was so full of hate, he had the idea. We used him," Mr Marino said.(オズワルドは憎しみに満ちていた。彼は〈JFK暗殺という〉アイデアをもっていた。我々は彼を使ったのだ。)
さらに、記事には、オズワルドを取り逃がしてしまい慚愧の念に堪えないといった元FBI捜査官の証言があり、さらにヘイグ元国務長官(1963年当時は軍顧問)の「ジョンソン大統領はカストロがケネディを殺したことを確信していた」という談話が続く。そして、最後はCommunist sharpshooterとタイトルされたオズワルドの簡潔な紹介で結ばれている。
Lee Harvey Oswald, an ex-marine sharpshooter who worked in a book warehouse overlooking the assassination, was arrested but killed shortly afterwards.(元海軍狙撃兵だったリー=ハーベイ=オズワルド、彼は暗殺現場を見下ろす教科書倉庫で働いており、逮捕された直後に殺された。)

He had a Russian wife, called himself a Communist and agitated on behalf of Castro's Cuba.(彼にはロシア人の妻があり、コミュニストを自称していた。また、カストロのキューバを支持するアジテーションを行ってもいた。)

この記事を読み、人々はどのような印象を抱くだろうか。オズワルドという人物については、高い銃撃技術をもった元「狙撃兵」であり、強固な意志をもった「共産主義者」、しかも熱烈な「カストロ=キューバ支持者」・・・なるほど大統領の命を狙うような奴かもしれない、そう感じるだろう。また、当時のアメリカ=キューバ間の極度の緊張関係(「キューバ危機」は前年の1962年10月のことだった)を考えると、キューバ諜報機関が暗殺の黒幕であることに少しの不都合や不合理もない、そう感じるのも当然だろう。

だが、JFK暗殺事件に少しでも関心があるならば分かると思うが、「オズワルド単独犯行説」や「カストロ=キューバ主犯説」などは、いまさら何をいっているのかと呆れられる愚論でしかない。JFK暗殺にかかわる歴史研究において、すでに「キューバ主犯説などは論外」といって過言ではないはずなのだ。

そう考えると、この時点で、BBCがなぜ「キューバ主犯説を主張するドキュメンタリーフィルムの完成にニュース価値を見いだしたのか」という疑問が生まれる。ニュースとして世界に発信するほどの意味があるものなのか。疑問である。

数年前、BBCは「The Kennedy Assassination: Beyond Conspiracy」と題したドキュメンタリー番組を放送しており、ニュースサイトにも「JFK: The simple truth」という記事が残っている。この記事(番組)を簡単にまとめると、さまざまな取材・調査を行った結果、暗殺の裏側に陰謀などはなく、オズワルドの単独犯行とするのが妥当との結論に至ったというものである。

だが、記事を一読すると、何ともバランスのとれない奇妙な論理が展開されているように感じる。暗殺にかかわるいくつかの疑問や不合理を示唆・列挙した後、突如として「調査したが、陰謀を裏付けるような事実はない。したがって、これは陰謀ではない」と強引にまとめて、最後はオズワルドという人間の「歪んだ人格」にすべてを帰し、それをもって結論としているのだ。

いうまでもないが、BBCは丁寧な取材に基づく実証的報道によって高い評価を受けている世界有数の公共メディアである。そのBBCにあって、この記事(番組)は例外的に粗っぽく、かつ投げやりな取材=報道姿勢に終始しているように見える。何とも不可解なことである。

今回の記事(JFK assassination 'was Cuba plot')にも、似たような不可解さを感じる。これは、いったい何なのか?

しかし、翻って考えると、この種の不可解さというのは、別にBBCに限ったことではないのだろう。ほとんどすべてのマス=メディア(とりわけ米・英系の)にあって、同じようにみられる不可解さではないのか。JFKが暗殺された直後から現在に至る42年余もの間、すべてのマス=メディアは、衆人環視のなかで起きた2つの殺人事件(JFKとオズワルドの)について、一片の「真実」さえ明らかにすることができなかった。何千万というテレビスクリーンにつながった多数のテレビカメラが稼働していたというのに、何一つ明らかにされないまま、42年余の歳月が経ったのである。

語られた「事実」は数えきれず、提示された「証拠」は山のように積み重なる。だが、1つの「事実」や「証拠」は、もう1つの「事実」や「証拠」との間で齟齬をきたし、あるいはお互いを打ち消し合うように印象を薄めて忘れ去られる。そのように輻輳しつづける「事実=証拠」の連鎖の果てに、宙ぶらりんの「真実かもしれない」というような曖昧な謎だけが残るのだ。何が正しく、何が間違っているのか。それはメディアをフィルターとする言説の内部にいては、絶対に分からない。このようにして謎は、42年余にわたって残りつづけてきたのだ。

JFK暗殺事件は1963年11月22日にテキサス州ダラスで起きた。よく知られていることだと思うが、その日は日米間で初めて衛星テレビ電送実験が行われた日でもある。アメリカのみならず日本においても、テレビを軸とする「メディア社会」へと全面的に移行した時期に、JFK暗殺事件は起きたわけだ。その意味からすると、JFK暗殺をめぐる不可解さ=謎とは、20世紀半ばに成立した「メディア社会」にあっては、あらゆる言説が「真実」たり得ないこと、あるいは「真実」という形式が不可能になったことを、端的に証明するものなのかもしれない。

だが、注意深く見ると、マス=メディア(とりわけ米=英のそれ)の言説には、1つの共通点があるように感じる。「オズワルド単独説」と「陰謀説」とを比較考量する際の「陰謀説」の中味に注目してみる。すると、暗黙の前提として、陰謀主体として想定されるのは、キューバ(Castro=Cuba)、ロシア(Russia=KGB)、マフィア(Mafia=Mob)であって、それ以外は途方もない幻想として退けられてしまう傾向が明らかに見てとれる。

BBCの2つの記事も同様である。「JFK: The simple truth」を読むと、CIAやFBIが関与したとする説については、根拠のない話として微かに記されているだけである。

Like most journalists who have travelled extensively in the United States, I have been assured by various Americans at various times that JFK was indeed murdered by the Russians, or by the Cubans, or by the CIA and the FBI, or by all of the above acting together.
しかも、それらの「話」は、すぐさま「オリバー=ストーンが唱えるような壮大な馬鹿げた説」として捨て去られるのだ。記者はいう。陰謀説は楽しい。それが証明されれば素晴らしい。だが、証拠がないのだから、nutty theory(馬鹿げた説)に過ぎないのだ。

無数の「事実」や「証拠」に加えて、ここでは「証拠の不在」というファクターがもう一つの「真実」の構成要素として加わることになる。

証拠がみつからなければ、「それはなかったのだ(無罪なのだ)」というのは、裁判=法廷の言説である。法廷の言説が「ないこと」に敏感なのは、もちろん表層的には権力の放逸を抑えて市民の権利を確保するためである。だが、「ないこと」への敏感さは、同時に「司法」という権力の性格にも関わる。当たり前のことだが、司法権はみずからの権威を担保するために、可能な限り「間違わない権力」でなければならない。そのために不可欠なのが「不在」あるいは「空白」をもって最重要の要素とみなす「文法」ということになるのだろう。

それを思えば、メディア社会における強大な権力たるマス=メディア(「第四の権力」)が、その権威を維持するために、「証拠の不在」に敏感になり、それを最優先するような「描き方=書き方」に執着するのは理解できるところではある。

だが、そうだとしても、予定されたようにOswald、Cuba、Russia、Mob以外の可能性を禁じる方向へと流れていくのは不可思議としかいいようがない。なぜなのか? マス=メディアという権力が不可避に選択せざるを得ない構造的な「情報=表現論上のバイアス」というべきなのか。それとも、そうした「バイアス」に滑り込む形で行われている「情報操作」を証明しているというべきなのか。あらためて謎であるとしか、いいようがない。

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