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2005-09-11

September 11、小泉劇場とマニフェストと・・・

September 11,2005 ── 総選挙投票日。締切時間の間際に投票所に滑り込み、何とか投票を終えてきた。

メディアの報じるところによれば、選挙戦の序盤から昨日に至るまで小泉-自公政権の優勢は揺るがないとか。小泉内閣のこの4年余の成果に大いに疑問をもつオレとしては予測が大外れすることを祈るが、メディアもそうそうバカではない。おそらくは「自公」が勝ち、政権交代を呼号してきた「民主」は頓挫をきたすことになる。またぞろ、この国の人々は「小泉の魔法」にかけられてしまったようだ。

問題は「自公」が大勝するのか、それとも有権者のバランス感覚が働き、ソコソコの勝利で終わるのか。このあたりの勝敗の微妙な違いはこれからの政治の方向性を考えるとき、非常に重要になるのではないか。

さて、自公政権が勝利するとして、その勝因は彼らの政策などではない。ひとえに小泉首相の「決断」と「パフォーマンス」にある。逆にいえば、「小泉なき自公」であれば、「民主党」が勝利できる可能性は高い。その意味では時代の趨勢が指し示すところに対して、断固として立ちはだかる小泉首相こそ保守政治家の鑑、まことの反動というべきかもしれない。

「郵政国会」から「総選挙」に至る一連のプロセスを振りかえると、確かに小泉首相の「凄さ」がよく理解できる。

オレなどからすると、「郵政民営化」という論点は「行財政改革」の肝となるissueではないようにも思える(後で述べるが、オレの判断の妥当性など分かったものではない)。だが、小泉首相はそうではないと強調する(首相の判断に妥当性が担保されているわけではない)。郵政民営化に反対するような連中に、どのような改革が可能なのか。一貫して首相はそう叫びつづけた。

小泉首相は「郵政民営化」をリトマス試験紙として「Yes/No」の二項対立のスキームを打ち立てることに成功した。このスキームのなかでは、野党のみならず自民党内の反対派もあっさりと「×」の判定をうける。しかも彼の「決断」は迅速かつ果断に行われた。批判力のないメディアは、自党内の権力闘争における首相の「果断さ」を、あたかも確固とした「Refomer」のイメージにダブらせて粉飾処理してしまった。遅くてはっきりしない判断ばかりを見せられつづけてきたこの国の人々にとって、「速くて、すっきり」した小泉首相の判断は大いなる「希望」に映る。その判断が「何に根拠をもち、何に対して、どのように作用し、どこに向かうのか」など誰も分かっていないし、そんなことはどうでもいいのだ。

つまりは「小泉劇場」の開幕である。昨年の大統領選挙の直後に次のようなメモを書いたことを思い出す。

”Why you keep losing to this idiot.”(なんでこのバカにいつも負けるんだ)と副題がつくこの文章において、Saletanはブッシュの「単純さ」こそが勝利の理由であると分析する。ブッシュ支持者はブッシュの単純明快さに惹かれ、信頼を寄せるというのだ。

”Simple but Effective”(単純だけど効果的)という観点から、ブッシュとケリーが対比されている。

1)ブッシュが1つメッセージするところを、ケリーは1ダースもメッセージしてしまう。
2)ブッシュが1つのことを問題とするのに対して、ケリーはたくさんのことがらを問題にしてしまう。
3)ブッシュは人々がもっと聞きたいと思う前に話をやめてしまうが、ケリーはみんなが何を言ったのか忘れてしまうくらい、次から次に前置詞句をつなげて話し続けてしまう。
4)ブッシュはすべてを意味する2つの大きな州に集中したのに対して、ケリーは何にもならない小さな州をたくさん手にしただけのこと

・・・そして、人々は「単純だけど効果的」なブッシュを支持したのである。(小さなメモ帳: 「単純な大統領」が再選されて・・・

上記の「ブッシュ」を「小泉」に、「ケリー」を「岡田」に、それぞれ置換してみてほしい。今回の総選挙における小泉戦略がいかに「単純だけど効果的」であり、現代のメディア状況をきちんと押さえているかが理解できるだろう。逆に「岡田=ケリー」のパフォーマンスが現代のメディア状況を無視した「誠実だけど分かりにくい」ものとなっているかが鮮明になる。(民主党の選挙用TV-CMほど、誠実だけど分かりにくい彼らの政策を象徴するものはなかった。ゴチャゴチャと岡田さんが叫び、何を言いたいのか分からないのだ)

小泉首相の勝利と岡田=民主党の敗北を分けたのは、有権者の「政策」に対するアクセスをどのように理解するかの違いだったように思える。簡単にいえば、小泉首相は有権者の判断力をストレートに信じることはなかった。それに対して、岡田=民主党は有権者の政策理解力を信じた。その違いである。

結論からいえば、小泉首相の判断は正しかった。

そもそも政治における政策の妥当性を測ることは、極めて困難な作業だ。マニフェスト選挙というが、普通の有権者が各党の政策的差違を考慮し、その是非を判断することなどできっこないと考えるのが、それこそ妥当な見方だろう。

政策の是非について誤った判断を下してしまうのは、何も普通の市民ばかりではない。バブル経済崩壊以後の経済政策の推移をざっと振りかえってみればはっきり分かるが、金融経済の専門家と称する人々のほとんどが間違いつづけたのだ。

内田樹教授は、統治者が政策の失敗をその原因を含めて認めることは、一般には期待しがたいことだと指摘し、加えて有権者が政策の是非を判断することの本質的な困難を語っている。

郵政民営化を論じるときの難点は「致死的なシステム危機がある」ということ(いまの例で言えば「船が沈みつつあること」)についての理解が共有されていないことである。
「いますぐに民営化しないとたいへんなことになる」というリスク評価と「民営化なんかしたらたいへんなことになる」というリスク評価の間に共通のプラットホームがない。
ある船員は「もうじき沈む船に止まるのは自殺行為だ」といい、別の船員は「こんな丈夫な船を捨てて逃げるのは自殺行為だ」という。
どちらも自称「専門家」がそう言っている。
自称専門家たちの誰がいんちきで誰がほんものなのか、私たちにはテクニカルな判断基準がない。
専門家Aを「いんちき野郎だ」と判断している人は、その専門家Aから「いんちき野郎」と罵倒されている自称専門家Bの所見にしたがってそう言っているのであって、別にその人自身に大所高所の判断基準があってのことではない。
「目くそ」と「鼻くそ」の戦いにおいて、いずれの「くそ度」がより高いかという判断を現場で「くそ」まみれになっている人がすることはむずかしい。(内田樹の研究室: 郵政民営化についてはよくわからない
内田教授は、とりあえずは「情報開示がきちんとされること」が大事であると述べているが、だからといって情報開示が完全ならば、判断のリスクは避けられるのかといえば、まったくそうではない。有権者たる大衆が間違うことを確認するためには、20世紀の歴史をおさらいするだけで十分なのである。

・・・などとダラダラと書いているうちに、20時を過ぎてしまった。テレビの選挙速報が始まっている。選挙速報を眺めながら、深夜までチビチビとアルコールを舐めつづける。日本のオヤジたちの隠された楽しみの始まりである。

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