抑うつ状態に落ち込んで・・・
10月だというのに、「小さなメモ帳」のカレンダーは9月のままだった。9月8日以来、ずっと書いていなかったのか・・・
先週末あたりから、ココロが落ち込んでいる。気持ちが暗く沈み、現状に対してあくまで厭世的である。言うまでもないが、未来に向かっては著しく悲観的だ。
まあな、小学生の1割が抑うつ傾向を示す時代だ。オレだって大人だからな、小学生に負けたくはない。でも、もともと暗くいじけたココロの持ち主がこれ以上に荒んで、より深くダーク・サイドに沈み込んでいくとなれば、語るべきコトバもないだろう。暗闇の後には・・・「アフターダーク」・・・夜明けはないな。
村上春樹の小説では、暗いココロを抱えた寂しいヤツがいたとして、いつの間にかカウンセラーみたいなヤツと出会うように仕組まれていることが多い。派遣されてくるカウンセラー(のようなもの)はさまざまだ。物語の語り手(「ぼく」とか)自体がカウンセラー(のようなもの)であることも多いが、今回の小説では「タカハシくん」とか「カオルさん」とかがその役割を演じている。道に迷った寂しいココロのすぐ側にそっと寄り添う温かなココロ・・・村上春樹の世界はそんなふうにできている。
内田樹の研究室: After dark till dawnを読んで、なるほどなあと納得する。村上春樹の小説における「センチネル-Sentinel-」あるいは「キャッチャー-Catcher-」あるいは「ナイトウォッチ-Night watch-」と呼ぶべきものについて、哲学者・ウチダは語る。オレが感じた「カウンセラーのようなもの」の存在を正しく規定し、見事に語り尽くしていることに感動してしまう。さすがにウチダ、やっぱり凄い。
彼らのささやかな努力のおかげで、いくつかの破綻が致命的なことになる前につくろわれ、世界はいっときの均衡を回復する。となると、掃除かアイロンがけでもやりながら、抑うつ傾向と戦うしかないな・・・同居人が喜びそうだ。世界にかろうじて均衡を保たせてくれるのは、「センチネル」たちの「ディセント」なふるまいなのである。
仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族はたいせつに。ことばづかいはていねいに。
というのが村上文学の「教訓」である。
それだけだと、あまり文学にはならない。
でも、それが「超越的に邪悪なもの」に対抗して人間が提示できる最後の「人間的なもの」であるというところになると、物語はいきなり神話的なオーラを帯びるようになる。
抑うつ状態との戦いには散歩も有効だろうと考えた。凡人の発想である。
自宅から30分ほど歩いたところに大型ブックストアーができた。そこまで歩いて2冊の本を買った。
「喜びは悲しみのあとに」と「1ミリでも変えられるものなら」。ともに上原隆の著書だ。
前者は「友がみな我よりえらく見える日は」の続編というべきコラム集、泣ける文章ばかりだ。後者も似たようなもの。好きこのんで抑うつ傾向を強めるような「泣ける本」ばかり選ぶか・・・自分に呆れてしまうが、これこそが抑うつ状態にあることの証左と考えてほしい。抑うつ状態の真っ只中で泣き暮れる・・・オレの「うつ」は痴呆の始まりかも、な。
ちなみに、上原隆は幻冬舎のウェブサイトで「リンカーンの医者の犬」というコラムを書き続けている。おそらく後で本としてまとめられるのだろう。これまで書かれたコラムのアーカイブはない。となると、常にチェックしておかなければならない・・・これもまた、抑うつ状態にある者の務めである。
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