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2004-08-29

マイケル・ムーアの「華氏 911」を観て・・・

「華氏 911」を観た。場所は札幌JRタワーにあるシネコン、札幌シネマフロンティア。金曜日の夕方というのに、客席は空きだらけだ。まわりを見回すと、お金とヒマに恵まれた奥様やお嬢様がぱらぱらと座っている。欧米人の姿もちらほら。オレみたいなオヤジはごく少数だ。そもそもオヤジたちは映画館に来ない。映画を観るカネがあったら、パチンコやマッサージにでも行くのだろう。JR駅周辺を歩くと、マッサージ屋の看板が目立つ。オレの友人も「揉まれるのが一番の幸せだ」という。その快さは「セックスなんて目じゃないぜ」とのこと。IT環境下の労働は目、肩、背中に疲れが溜まるからな。

札幌のような地方都市における「華氏 911」の集客力はどれほどのものなのだろう。マイケル・ムーア(日本語サイトはここ)の故郷、ミシガン州フリントほどではないにせよ、この街も失業率は高い。何とか仕事にしがみついている(オレのような)連中にしても、収入は下がりっぱなしだ。札幌圏以外の北海道の各都市、各地域はもっとひどい。カネのない連中は「華氏 911」を観ない。失業や収入減に苦しむ人々は映画代金をケチる。仕事がなく、しょうがないから軍隊(自衛隊)に入ろうか、イラクに行こうか、というような若者も観ない。「華氏 911」は貧しい「小さな人間」こそ観なければならない映画だ。貧しい地域の住人こそ観ておくべきドキュメンタリーだ。しかし、そういう連中は観ない。そういう連中が住む街の映画館はがら空きだ。逆に所得の高いヤツらほど観る。自分たちの生活を守るために貧しい連中を戦場に押しやっているヤツらが「華氏 911」の観客の中心だ。だから、東京のプレミアショーは満杯になるが、逆に札幌のような地方都市での上映となると、かんこ鳥が鳴く・・・。

「華氏 911」はエキサイティングな映画だ。とりわけ後半部が凄い。悲しみのエネルギーがみなぎり、怒りのパワーがほとばしる。その分、前半はいささかかったるい。すぐに眠りたくなるオレだから、あやうく居眠りしそうになった。だが、それも序章であると思えば、何の問題もない。ドキュメンタリー映画としては、原一男監督の大傑作「ゆきゆきて、神軍」以来の楽しさだ。こうなると、マイケル・ムーアの他の作品、「ロジャー&ミー-ROGER&ME-」「ボウリング・フォー・コロンバイン-Bowling for Columbine-」を観ていないことが気にかかる。

ところが、溜池通信のかんべい氏は、逆の感想を抱いたようだ。デブのマイケル・ムーアは不愉快だ。きっとそんなふうに思ったのだろう(かんべえの不規則発言)。

○映画の内容は、だいたい予想通りでありました。マイケル・ムーア自身が語るナレーションは、細かい嘘と誇張が多いのですぐに嫌気がさしましたが、民主党支持者が見れば、フロリダ再集計を振り返る冒頭部分から、後半のイラク戦争に傷つく米国市民の表情まで、大いに鬱憤が晴らせるのではないかと思います。まあムーアもプロですから、露骨に観客を騙しているわけではない。でも上手に誘導している。「デマゴーグ」と呼ぶほどではないけれども、反ブッシュの「プロパガンダ」といったところでしょう。

○この映画の嘘をいちいち指摘するのは疲れるので、「ケリー候補がこの映画については一切コメントしていない」(たとえば「ブッシュ大統領に是非見てほしい」といったことも含めて)とだけ言っておきましょう。確かにこの映画は「ブッシュを落選させよう」という明確な意図のもとに作られているけれども、ケリーがそれを自分のために利用するのが憚られるようなところがある。ブッシュ家がビンラディン一族と特別な関係があるから、特別の計らいで9/11後のアメリカから脱出させた、だなんて、ンなわきゃないでしょうが。

○9/11に関する陰謀史観を展開する前半はさておいて、普通のアメリカ人を多く登場させる後半は面白い。特にムーアの故郷であるミシガン州フリントの若者たち(ほとんどが黒人)に「就職できないから軍隊に行く」と語らせたり、彼らをリクルートする海兵隊員たちの手練手管を撮ったあたりは技能賞といえる。ワシントンの議員たちに向かって、「子供を軍隊に入れさせろ」と絡むシーンなども、ムーアの怒りを率直に表している。

○でも、これは筆者がスレッカラシだからなんだろうけれど、最後の方は「愛の貧乏脱出作戦」のように思えてきた。「お、このシーンは何度も撮り直ししたんだろうな」とか、「この人、素人じゃなくて俳優じゃないのかな」などと見えてくるのである。ムーア自身は確信犯だから、「権力の大きな嘘を暴くためには、メディアの小さな嘘は許される」と思っているのだろう。でも、メディア・リタラシーの高い人たちには通用しない映画であると言っておこう。ムーアの怒りはよく分かるけど、「憤兵は敗る」というやつだ。

これが「メディア・リタラシーの高い人たち」の見方なんだ、とさ・・・呆れるばかりだ。この映画が「メディア・リタラシーの高い人たちには通用しない映画である」として、かんべい氏のような「メディア・リタラシーの高い人たち」が参照する「正しいメディア」とは何なのか。マイケル・ムーアの著作「アホでマヌケなアメリカ白人」「おい、ブッシュ、世界を返せ!」(映画を見た後、買ってきた。まだ読みかけだ)を読む限り、マイケル・ムーアが闘っているのは「正しいメディア」が作り出すフィクション(虚構)である。彼は3月のアカデミー授賞式でのスピーチでもこんなふうに述べている。
わたしたちはノンフィクションが好きなのです。わたしたちはノンフィクションが好きですが、いまは虚構(るび:フイクシヨン)の時代に生きています。虚構の選挙結果で虚構の大統領が選ばれる時代に生きています。その大統領が虚構の理由でわたしたちを戦争に追いやる時代に生きています。でもいくらダクト・テープの虚構やオレンジ色警戒レベルの虚構を押しつけられても、わたしたちはこの戦争に反対です、ブッシュさん。恥を知りなさい、ブッシュさん、恥を知りなさい。
「メディア・リタラシーの高い人たち」とは「大人げないこと」を容認しない人たちのことだ。「正しいメディア」が巧妙に配置する情報=表現論上の<バイアス>を抉り出し、正しい配置を取り戻すためにマイケル・ムーアは苦闘している。意表をつく突撃取材、逆方向から<バイアス>を加え直すような映像処理、彼の苦闘は<ユーモア>とともにある。<逆-バイアス>と<ユーモア>は世界を変える鍵だ。それを「大人げない」と切り捨てるのなら、オレたちが受け取る<世界>というイメージは操作されたまま、1ミリたりとも動くことはない。「メディア・リタラシーの高い人びと」とは、操作されたままの<世界>を愛し続ける人びとの別名である。

「メディア・リタラシーの高い人びと」とやらは呟く・・・デブでマヌケなマイケルは躾がなってない。そこに不正が隠されていようとも、虚構が真実を覆い隠そうとも、大人げない物言いほど始末の悪いものはない。「真実を明らかにするのがジャーナリズムの使命」などというのは、子どもの言い草だ。ジャーナリズムの大きな使命はこの国とこの世界の安定を守るためにある。真実は安定という基盤に置かれたときだけ意味があるんだ。あのデブはそこが分かっていない。高い収入、恵まれた境遇、誰だってこれを手に入れるために努力しているのだ。大人げないことをするヤツの不作法な振る舞いによって、せっかく築き上げた<property>を失うようなことは断じて許されない。「かんべい氏」だって、そういう立場の人々を顧客をする日商岩井の調査マンだ。ご自身も日商岩井から高額のサラリーを貰っている。貧しくてアタマが悪くて汚らしい連中のことなど知ったことか。連中は不平ばかりで努力しない。デブでマヌケなマイケル・ムーアの怒りなどウザったく映るだけだ。

移民受け入れをめぐって、森永卓郎が朝日新聞紙上で語っている。

移民論を歓迎するのは、こうした状況で恩恵を受ける側の人たちではないか。海外駐在などで経験した使用人のいる生活が忘れられなかったりする。文化の多様性をはぐくむなどと意義を強調しているが、私には汚い欲望を包み隠す、きれいな包装紙のように映る。-朝日新聞 2004/08/25 朝刊-
移民受け入れの是非はさておき、いまこの国を覆う言説の奥底に「汚い欲望」が隠されているという森永の指摘は鋭い。強まるばかりの保守化、右傾化の潮流も、この「汚い欲望」に強烈にドライブされていると感じる。「サヨク」を憎み、「リベラル」を嗤うガキどもの家庭調書を作成してみるといい。お父様、お母様、お爺様の職業欄、履歴欄、所得欄を調べて、ついでに所有する土地・家屋・有価証券などの資産の欄も確かめてみよ。自分一人では何一つ生み出す能力も自信もないガキども。彼らは恐れている。ワケの分からない連中や正義ぶったヤツらがやってきて、お爺様やお父様が残してくれた<オレのモノ>を奪うかもしれない、と・・・。

マイケル・ムーアのドキュメンタリー映像を観ること。そして、彼の著作を読むこと。それは、この時代にあって数少ない<反省>のときを過ごすことだ。世界のあり方と自分の生き方を見つめ直す・・・マイケル・ムーアは信じられないほどにスマートなデブである。

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2004-08-24

夏競馬と幸運なケダモノと・・・

眠かったなあ・・・耐え難い睡魔と戦いつづけていた。少しだけ眠気が弱まったようなので、メモを書く。キーボードを叩いて眠気を飛ばしてやるぞ。打鍵数に反比例して眠気の度合いは低下するはずだ。そうか、「小さなメモ帳」の隠れたテーマは、キーストロークだったのか・・・

2週続けて競馬場に出かけた。夏の札幌競馬。とはいえ、ここは北国だ。午後になると、ヒヤリと冷たい風が肌を撫でてくる。21日(土)の午後には、低く垂れ込めた暗い雲のせいで競馬場全体が夜を迎えたように薄闇に覆われてしまった。大きな雨粒が照明灯の明かりにキラキラ光る。冷風がスタンドを吹き抜け、外れ馬券や競馬新聞の切れ端が宙を舞う。おいおい、JRAははくぼレースと称して、全レースの発走時間を繰り下げているけれども、大丈夫なのかな・・・あの日の午後、競馬場のスタンドに詰めかけた多くのファンは、そう思ったに違いない。しかし、すぐに厚い雲は去った。雨も上がった。晴れやかな晩夏の日射しが復活し、無事に「札幌はくぼレース」は行われた。でも、オレは思ったね、もう夏は終わったな・・・って。

人生のピークともいうべき時期、競馬場の片隅でタバコをくわえながら競馬新聞を睨みつけることに貴重な時間を費やしてきた。ところがここ数年、すっかり競馬新聞とも縁遠くなってしまった。1年前からは禁煙を始めて、いまも継続中だ。馬券なし、タバコなし、色事なし。ついでにいえば、生きる気迫もなし、だ。連れ合いのあまりの気迫のなさに危機感を抱いたのか、それとも単に自分が遊びたかったのか、競馬場に行こうぜ、と誘ったのは同居人である。

1年ぶりの競馬場。馬券購入用のマークシートの形式も変わっていた。何しろ三連単(三連勝単式、trifecta)まで発売されているのである(現在は札幌だけの試験発売らしい)。いくつかの種類の馬券を「流し」、「ボックス」、「フォーメーション」と多様に組み合わせて購入する。小さな金額でいいから、いっぱい買おうよ・・・現在、JRAはそんなふうに私たちを誘うのである。

90年代の初めだったろうか、馬連(二連勝複式、quinella)の導入が検討されていたとき、「この種の馬券はなかなか的中しないから、ファンは馬券を買わなくなる。どうしてこんな馬券を導入するのだ」と大いに憤慨する競馬ファンの大学教授がいた。西野広祥という先生だったと記憶する。この先生にお訊ねしたいものだ。何種類もの馬券が発売され、競馬ファンが大いに楽しんでいる現状をどうお考えなのか。ちなみに、外国産馬の出走制限が緩和され始めたころ、西野先生は「馴染みのない血統の馬が走り始めると、競馬ファンは離れていく」と大真面目で論じていた。当時も噴飯ものの主張だと思ったが、いま振り返ると、あまりの時代錯誤性に唖然としてしまう。たかだか10年ちょっと前のことである。時代の移り変わりは相当にスピーディーだ。加速する歴史のなかで、たくさんのピエロが生まれ、そしてすぐに消えていく。

久しぶりに買う馬券はさっぱり当たらない。私よりも同居人はもっと当たらない。本来、同居人のほうがギャンブラーとしての資質はずっと高い。実証済みだ。だが、長いブランクは彼女のパフォーマンスを台無しにしたようだ。結局、ほんのわずかな勝ちを拾った私に対して、同居人は大きく負けてしまった。チームとしては立派な敗北、ツキに見放された私と同居人。わがチームの勝利は「競馬」にはない。勝利はどこにあるのだろう・・・

ツキというのは実に不思議だ。幸運の女神は驚くほど気まぐれである。BBC NEWS-Rapist scoops £7m on Lotto Extra-が伝えるように、こともあろうに強姦罪で終身刑の判決を受け服役中の男が宝くじで大当たりした、という。イギリスの話である。1989年に終身刑を受けた52歳のIorworth Hoareという服役囚は、法務当局が認めた外出の際に宝くじを買い、賞金700万ポンド(約14億円)を手にしたのだ(one of three winners to share Saturday's £21m Lotto Extra jackpot)・・・よりによって、こんなケダモノのような強姦魔に14億円である。まったくどうなってるんだろ・・・

ツキに恵まれない健全な市民として、ツキに恵まれたケダモノの記事を眉をひそめながら(ヨダレも流れたんだけど・・・)、読みつづける。

まずはタブロイド紙の代表The Sun。さすがにUK's biggest selling newspaperと自慢するだけのことはある。檻に入れられたケダモノが、実は1993年に文通相手と結婚していた、という(まったくどうでもいいような)情報を大々的に報じている(The Sun Newspaper Online-In sickness and in wealth-。ちなみにユーザー登録していないと、読めないかも)。

いくつかの疑問を明らかにしておこう。

The sex monster held the hand of pen pal Irene Harrison, 55, as they tied the knot after he lied to her that he was a bank robber.
文通相手には銀行強盗で服役中とウソをついていたようだ。でも、Irene Harrisonという女性もよく分からないヒトではある。
Within two years they had lost contact as Hoare was moved to jails in Wales and on the Isle of Wight ? too far away for Irene to visit.
The lifer is currently in Shepton Mallet prison in Somerset and could be free within months.
Irene is still married to him but has vowed to file for divorce. She stormed: “He is a horrible man who has never cared for anyone.”
2年後、ご両人は会うこともなくなったようだ。でも、今から数か月以内に幸運なケダモノ=Hoareは娑婆に出てくる。Ireneさんと幸運なケダモノはいまだ婚姻状態にあるが、彼女は離婚を決意している、という。彼は恐ろしいヒトよ、誰一人愛することなんてできやしない・・・いまごろ気づくか?とも思うが、14億円を手に入れた男に対してキッパリと絶縁状を叩きつけるあたり、立派というか何というか・・・よく分からないヒトではある。

本記事の横に”He wants a Roller”という短い記事がある。それによると、BRUTAL Iorworth Hoare(ケダモノという称号がつく。さすがに"幸運な"はついていないが)は、囚人仲間に自慢しているという。まずは美しい女だな。それからリーズに200万ポンド(4億円)の豪邸を買う。ロールスロイスも買う。タイの高級リゾート地に別荘を構える・・・最高の弁護士も雇うぜ、“Anything I want is mine, I’m unstoppable.”(オレが欲しいものは何であれオレのものだ、オレは止められないぜ)

記事の後半には、このケダモノの罪状がまとめられている。

Hoare’s crimes include one rape, three attempted rapes and three indecent assaults.
He was told by a judge who gave him life: “Every moment you are at liberty, some woman is at risk.”
The miner’s son from Leeds was first convicted of attempted rape in 1973.
His most brutal crimes came in 1982 when he indecently assaulted a woman teacher and raped a 37-year-old housewife.
Hoare was released in November 1987, but went on to attack a 60-year-old woman in a park in Leeds.
1973年、強姦未遂。1982年には女性教員を襲い、さらに37歳の主婦を強姦する。1987年に釈放されるが、リーズの公園で60歳の老女を襲う。きみが自由であるあらゆる瞬間、女性たちは危険に直面しているのだ・・・終身刑を下した裁判官のセリフである。

繰り返しになるが、こういうケダモノに14億円である。幸運の女神とやらの資質を疑う。BBC NEWS-Ministers 'cannot block' £7m win-にあるように、14億円を犠牲者たちへの賠償金にできないのか、と考えるのは当然だ。記事の最後には、例のIreneさんも犠牲者のために闘うと語っている、とある。幸運の女神の途方もない気まぐれは、イギリス社会に大きく波紋を広げている。

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2004-08-13

なでしこジャパン、ジダン、そして勲章のこと・・・

アテネ・オリンピックのフットボール予選が始まっている。

日本女子代表、「なでしこジャパン」は見事な戦いぶりだった。巧みなグループ戦術を貫き通し、速くて強いスウェーデン代表を破った。それに対して、日本男子代表は予選グループBの初戦「対パラグアイ」戦を4-3で落とした。

どちらのゲームも実況中継で観た。女子のゲームよりも男子のゲームのほうが圧倒的に眠かった。当たり前だよな、男子のキックオフは女子よりも2時間半ほども遅かったのだ。1-1に追いついた小野伸二のPKなど、いくつかの大事な局面を見逃してしまった。眠っていたのだ。

「なでしこジャパン」のメンバーは、たいへん苦労している。Lリーグからスポンサー企業が逃げてしまったからだ。ゴールを決めた荒川恵理子はスーパーマーケットのレジ係として働きながら、代表プレイヤーとして戦っている。彼女たちは心底から「勝ちたい」と願っていることだろう。Lリーグへのサポートを得るために、女子フットボール・プレイヤーの自立のために、この国の女子フットボールの未来のために・・・神さま、お願いだ、彼女たちにメダル(ブロンズでいいからさ・・・)を与えてやってくれ。

ヤマモト・ジャパンの敗戦については語りたくない。グループBは非常に厳しい組だ。しかし、まるで予選グループなどないかのように、「36年ぶりのメダル獲得だ!!」とメディアは叫び、山本監督もファンタジックな夢を得々と語ってきた。「目標はあくまでメダル」なんだ、と。そのたびに「まるで大本営発表だな・・・」と感じていたことを告白しておく。だが、「後出しジャンケン」といわれるのは心外だ。いまは何もいわない。次戦の「対イタリア戦」に期待する。

ジネディーヌ・ジダンがフランス代表からの引退を表明した。日刊スポーツの記事「代表引退のジダン『新しい世代が必要』」と、BBCの記事BBC SPORT-Zidane quits France-をメモしておく。
(BBCの記事をあげておくのは、リファレンスのつもりだ。わが国の新聞社のニュースサイトでは昨日の記事さえ読めないか、読みにくいことが多い。過去の記事を記録として保管し、公開するという思想がない。BBCはそのあたりが素晴らしい。すべての記事がしっかりアーカイブされていて誰でも読める。アメリカのNew York TimesやWashington Postなどはユーザー登録が必要となる)

惜しまれて舞台を去る。彼の出現によってモダンフットボールの戦術が変わったとされるほどの男である。志の高さを感じさせる発言で最後を締める。史上最強のMFは姿を隠すときもカッコ良いのだ。彼はいう、

06年(のワールドカップ)を準備するためにフランス代表には新しい世代が必要だ。もっと若い人たちに場所を与えなければいけない (日刊スポーツの記事から抜粋)
フランス代表監督に就任したレイモン・ドメネクも次のようにいっている。
"He will not play for France any more - I'm sorry about it as I would have liked him to carry on."
"He thought he had to leave the place to young players."(BBCの記事から抜粋)
引き際の美学とは、よくいったものだ。ジダンのようなホンモノほど美しく、ダメな人間になればなるほど冴えないし、カッコ悪い。asahi.com-経済気象台-世代交代を阻止する叙勲-を読んで笑ってしまった。私の近くにも、実際にこういうヤツがいたからである・・・○○さんって、功成り名を遂げたというのに、どうしてあんな無意味なことを部下に押しつけるのですか?・・・勲章がほしいからさ・・・まさか、そんな・・・ほんとさ、彼の願いは「何とかという勲章」をもらうことなのさ・・・ホントだったのである。

asahi.com-経済気象台-世代交代を阻止する叙勲-を全文引用させてもらう。

各地でまちおこしの動きが活発だ。地域の活性化と商店街の活性化とは必ずしも同じではないのだが、密接に関連していることは事実である。各種のイベントや、子育て支援あるいはバリアフリーのまちづくりと、各地で知恵が絞られている。もう再開発や商業ビルの建設の時代は終わり、お客が買い物に集まる場所と言うことよりも、まちを利用してみんなが楽しもう、といった空気になりつつある。

伝統のある祭りだけではなく、全国に波及しつつある、ソーラン祭りや阿波踊りなどを見ていると商店街の方も、地域の住民と一緒にやらねばだめだ、という意識が特に若手経営者の間には芽生えている。

問題は年輩のリーダーである。新しい動きについていけないのだ。

長い間、つまり20年前、30年前から補助金の受け皿としての商店街振興組合の役員を続けている人の中には、叙勲目当ての人がけっこういて、あと何年か理事長を務めると、勲五等くらいにはなりそうだ……なんという話が多い。

彼らは地域を振興させることよりも、自分の勲章がどうなるかで頭の中がいっぱいだ。戦後からずっと駅前で40年、50年と商いを続け、もう十分に儲け終わって、ストックもでき、自分の店は貸しビルにして不動産管理業として生きているので、地域のためになにかをはじめ、新しく汗を流す気持ちなどないのである。

聞こえてくるのは「叙勲制度がなければもっと人間が入れ替わるのだけれども」といったため息だ。

もちろんこれはあらゆる層に共通している。財界人の勲章熱も一向に衰えない。勲章がどれだけ「老害」に寄与していることか。

叙勲関係者に望みたい。日本の活性化のために、勲章の欲しい人には早め早めにどんどん授与していただきたい。もったいぶらないで欲しいのだ。世代交代の促進に協力を。(遠雷) -2004/08/12-

1998年、ジダンは欧州年間最優秀選手に授与される「バロンドール」とFIFAの「世界最優秀選手賞」を同時に受賞している。フランス国民にとって最高栄誉である「レジオン・ドヌール勲章」も授与されている。

いうまでもないが、(仮に叙勲制度に何らかの価値を認めるとして)すべての勲章はジダンのような人間に与えられるべきである。間違っても「あと何年か理事長を務めると、勲五等くらいにはなりそうだ……」と呟いているような連中に与えてはならないのだ。

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2004-08-10

アジア・カップを総括すると・・・

The Asian Cup China 2004の決勝は、日本が中国を破り優勝。日本の優勝は3回目、前回のレバノン大会に続く連覇である。日本代表のみなさん、おめでとう。ほんとうにお疲れさまでした。

土曜日の決勝は実力通りの順当な結果だ。奇跡をおこそうと、中国のファンたちは健気にガンバっていたようだ。だが、フットボールはヤジやブーイングで勝てるほど甘くない。代表チームに限れば、現時点では少しだけ日本が上なのだろう。
(しかし、尊敬するフットボール評論家・後藤建生によれば、現代のフットボール勢力地図を規定する最大の要因は「人口」である、という。経済水準がある程度まで上がると、「人口」の多寡がフットボールの強さにはっきりと反映され始めるのだ。この説に従えば、近い将来、中国は日本や韓国を上回るフットボール大国となることは確実である)

中村俊輔のCKから中田浩二(いま、中田浩二のWeb Siteを探していたら、中田浩二公式HPというのが出てきた。ちょっとたじろいだ)が押し込んだ2点目はハンドだな。主審の判定はゴールなのだから、いいんだけど・・・玉田圭司が3点目をしっかり決めてくれて、ホントによかった。2-1のままで勝っていたら、中国人たちの怒りはあんなものではなかっただろう。ブラボー!! 玉田!! あなたのおかげで<日中友好>の細い糸は切れずに済んだ。これまで「仔犬みたいに走りまわってるだけじゃん・・・」などと失礼なことを感じていた自分を恥じる。技術的にもキーパーとの1対1を冷静に処理したのはお見事。あの雰囲気のなかでの仕事なのだから立派だ。代表でも、わが街のクラブチームでも、(誰とはいわないが)キーパー正面にガチンと蹴るかあ、バカヤロー・・・ってことが多いからなあ。ジャパン・フットボールの進歩を感じた、ホントに。

中国人観客の反日ブーイング問題について、簡単にメモしておきたい。結論からいえば、「たいした問題ではない」ということだ。

何よりも、他の誰の文章よりも、「朝日男的日記」を読むべきである。あのULTRAS NIPPONの植田朝日が綴るアジアカップの激闘日記だ。フットボールの論理でしっかり状況を語れるヤツ(それでしか語れない、というべきかもな)のDiaryには、「危険のキの字」も「危ないのアの字」も一つとしてない。スタジアムを一歩出ると、中国人たちは友好的であり、スタジアムでの「ブーイングは一種のブーム」みたいなものだ、と植田はいう。むしろ、邦人保護に動く日本大使館や過敏な警備体制を敷き始めた中国当局の対応に違和感を感じた、という。

そんなものだろうよ。2002W杯で日本代表が予選組を通過したときのことを思い出してほしい。全国の大都市の盛り場でチャパツのニイチャン、ネイチャンが「ニッポン、ニッポン」と叫びながら、まるで幕末期の「えいじゃないか」みたいに狂喜乱舞したのである。どぶ川へのダイビングも流行ったよな。今大会の中国では、歴史的な背景から<Japan Boo!!>が共通の身ぶりになった。それだけのことだ。フットボールでは普通に見られる現象ではないか。フットボールはスポーツの一つに他ならないが、否応なしに民族や歴史、政治や経済の対立や矛盾をその熱狂のうちに抱え込んでしまう。フットボールという容器はデカイのだ。植田朝日はそのことを繰り返し語っているのである。

余談になるが、テレビニュースを見ていて笑ってしまった。あるテレビ局が帰国してきたばかりの植田にインタヴューしたのである。植田は「ダイジョーブ、十分に安全だったよ」と笑顔で答えた。だが、植田のインタヴューが放映されたのは、それっきりだった。この国のメディアは怒り狂った中国人の群衆がジーコ・ジャパンや日本人サポーターの安全を脅かした、という構図を欲しがり始めたのである。これを機に中国に警告しておくべきだ、という日本政府の意志が働いたのかもしれない。そのため、「たいへんでした」、「国際的なイベントの運営はまだ無理でしょうね」というようなネガティブなコメントがONになり、植田のようなコメントはOFFとされたようだ。植田朝日のフットボール・リアリズムは、この国のメディア産業にとって(いまは)カネにならない情報と判断されたのだろう。
(この国ではこのようなプロセスの積み重ねを通して、ある種の空気=モードが醸成されていくのだろう。この空気は政治的には「世論」とよばれるのだろうが、その生成のあり方は資本-権力の側からすると十分に操作的だ)。

反日ブーイング問題とは少し外れるが、スポーツナビ-中国代表ハーン監督会見(原文はBitter Haan laments debatable calls)こそ困ったものである。ゲームの結果が納得できないといって、ハーン監督は準優勝メダルの授与をボイコットした。このオランダ人は正真正銘のアホである。AFCが怒るのは当然で、資格停止措置なりなんなり厳正な処分を科すといい。まだまだ未熟な中国のフットボールに対して、Football Evangelist(伝道者)としての自覚を持つべき立場なのに、ただひらすらに「オレは不満なんだ」とぶつくさいうばかり。大会のWeb SiteでもHaan panned for anticsとして報じられているマヌケぶりである。開催国・中国の協会は、アホでがさつなファンたちの不作法に加えて、腐ったハートを持ったマヌケなオランダ人監督を抱え込み、まさに踏んだり蹴ったりの状態である。

最後に2つのBBC NEWSの記事をメモしておく。どちらも事実としてはすでに報道されていることだが、それぞれ結びの部分が印象的だ。抜粋しておく。

BBC NEWS-Jeers as Japan win football final-

Improving international relations may take a little longer.
(中国が国際的なつきあいをうまくできるようになるには、もう少し時間がかかるかもしれない)
BBC NEWS-Chinese riot after Japan victory-
China is bitter about the massacre of 300,000 Chinese civilians in Nanjing in 1937, as well as numerous allegations of human rights abuses before and during the war.
One Japanese fan conceded that he understood why the Chinese booed and taunted his team.
"If we were in their place, I would feel like booing Japan," he told the BBC.
(中国は30万人の民間人の犠牲者を出した1937年の南京大虐殺、さらには戦前から戦中に続く無数の人権侵害の苦しみを受けているのだ。ある日本人ファンはなぜ中国人が日本チームにブーイングと汚いヤジを浴びせかけるのか分かるよ、といった。「もし連中の立場にあれば、オレも日本にブーイングしたくなるだろう」と彼はBBCに語ったのである)

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2004-08-09

スーパーの本屋、坪内祐三、軽い帝国・・・

同居人がショッピングカートに食料品を放り込んでいるとき、スーパーマーケットの2階にあるちゃちな本屋で雑誌の立ち読みをする。まずはパソコン雑誌、それから他の雑誌。週刊誌までは手が回らない。でも、これはいつも立ち寄る喫茶店で読めるはず・・・

気がつくと、カラカラと音を立ててショッピングカートがやってくる。買い物を終えた同居人だ。いいのかよ、ここじゃカートはダメなんだぜ・・・そんなちっちゃなこと、気にするなって・・・同居人は堂々としている、消費の女王だもんな。車を運転しない彼女は、スーパーマーケットからショッピングカートごと帰宅したことがある。店からそのまま押してきたのだ・・・とっても重いんだよ・・・でも、それってヤバイんじゃないのか・・・気にするなって、すぐに返すから・・・○○スーパーのみなさん、お店のショッピングカートを預かっています。必ずお返しいたします。いましばらくお待ちくださいね。

昨日の日曜日も、スーパーの2階で立ち読みしていた。米袋を運ぶために同居人に徴用されたのである。なにしろ売れない本屋だ。「諸君!-8月号」が売れ残っている。パラパラとめくると、坪内祐三が書いている。「『軽い(ライトな)帝国』が行使する『まだましな悪』」。たいした分量ではないが、数分で読めるものでもない。ざっと目を通す。面白そう・・・だが、こういうケースが最も困るのだ。この文章を除けば、どれ一つとして読む気にならない。数年前、なるべく雑誌は買わないようにしようと誓った。雑誌を買い始めるとキリがないからだ。つまらない誓いだが、本や雑誌を上手に捨てられない人間にとっては、けっこう切実である。だから、今度も誓いを守って、必死で立ち読みすることにした。

M.イグナティエフ(Michael Ignatieff)「軽い帝国」を論じたもの。さすがに「ストリートワイズ」な坪内祐三だ。彼の手にかかると、多くの人間がイグナティエフというヤツの本を読んでみようかな、という気にさせられるにちがいない。もちろん、この国の「小さき人々(大衆)」にとっては、知的なファッションとしての「軽い帝国」であり、「ヴァーチャル・ウォー」にすぎないのだろうけど・・・。

坪内祐三は植草甚一が生み出したスタイルを継承し、発展させている批評家だ。植草がジャズや映画などサブカルチャーの世界で培った手法を、文学、政治などハイカルチャーの分野にもそのまま持ち込む。これは恐ろしく大胆な力業である。気が遠くなるほど読むことを要求されるからだ。凄いのは、その力業に真正面から取り組んでいることである。植草が「雨降りだからミステリーの勉強をしよう」とやったところの、その「ミステリー」の代わりに「靖国」「連合赤軍」「洗脳テロリスト」などといった重たいワーズをどんどん入れていく。もちろん、結局のところは「雨降りだから・・・」がベースなのだから、快いエンターテイメントの枠を超えることはない・・・だが、「エンターテイメント」というフレームのどこが悪いのか。「快い」のは良いことに決まっているではないか。私たち(の時代)は「坪内祐三」を求めているのである。

エアコンを効かして部屋全体をしっかり冷やしておけ。掃除もやっておけ。デスクの上をよく片づけて、コカコーラ・ライトでも置いておくこと。知ってるか?「軽い帝国」の原題は「Empire Lite」なんだ、Coca-Cola Liteみたいだろ。準備はいいか? では、ゆっくりと読み、「民族浄化」や「セルビア空爆」について考えること。楽しい「トリビア」もあるかもな。あっそうだ、BGMには何が合うんだろな? オレは音楽に弱いんだ・・・ ライトな坪内祐三(Y.Tsubouti Lite)は、こんなふうに消費されなければならないのである。

ボスニア、コソボ、アフガニスタン、イラク・・・ポスト冷戦下の世界が直面する重苦しく悲惨な現実と向き合うなかから、アメリカやNATOによる軍事力行使を肯定するに至ったイグナティエフ。世界の現実と格闘する西欧が生んだ新たな「タカ派リベラル」の代表的言説。坪内の読み方に独創的なものがあるわけではない。

むしろ坪内が着目するのは、イグナティエフの著述のスタイルだ。そのスタイルはジャーナリスティックなレポートでもなく、学術的な論文でもない。遡ればベンヤミンか。坪内はこうした著述スタイルをアカデミック・ジャーナリズムとよび、わが国にはないスタイルだ、といっている。これこそストリートワイズたらんとする彼自身が追い求めるスタイルだろう。ライトな坪内祐三の羨ましげな息づかいが聞こえてくるようだ。われにもっともっとディープな学識を、ってか・・・

カラカラカラ・・・ショッピングカートがやってきた。同居人だ。立ち読みもこれまでにしておこう・・・米袋2つだからね、重いよ、気をつけなよ、腰甘いんだからさ・・・ボスニアやコソボと比較するわけにはいかないが、この国にも「軽い生活」ってのはないな・・・

東大法学部の塩川伸明先生のサイトは参考になる。

イグナティエフ「軽い帝国」読書ノート
イグナティエフ『ヴァーチャル・ウォー』読書ノート

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2004-08-07

アジア・カップ決勝、中国を叩きつぶせ・・・

The Asian Cup China 2004は今夜が決勝だ。どんな勝利でもいいから、ジーコ・ジャパンには勝ってもらわねばならない。中国をグウの音も出なくなるまでやりこめてほしい。ギャーギャー騒がしいスタジアムに蝟集するアホでマヌケなChineseどもの貧相な希望を完膚なきまで打ち砕いてもらいたい。ヤツらを絶望の奥底へと叩き込んでやるのだ。

これは日中両国が歴史上初めてフェアな立場で相対する<小さな戦争>である(アウェーの不利は、まあいいさ。金持ち喧嘩せずだ)。ジーコ監督とジャパン・ブルーの戦士たちには、そうした自覚のもとで死に物狂いの奮闘を期待せずにはいられない。頼むよ!! 勝ってちょうだいね!!

ところで、(どうでもいいことだけど)今大会の反日ブーイング騒ぎに対して、「政治とスポーツを区別する理性を持て」などと知ったようなことをほざく連中がいる。しかし、日本人であろうと、中国人であろうと、残念なことにFootball Nationsにはそんな「理性」などない。そういう理性を備えたヤツはフットボールなんて見ない。楽しめるわけがない。バッハを聴くか、チェスか将棋でも指しているだろうよ。

話を簡単に済ませたい。内田樹の研究室: 重慶から遠く離れてを読んでほしい。そういうことだ。

結びの部分を抜粋しておく。

それに、重慶は歴史的にも「アウェー」だ。
サッカー場で日の丸振ったらゴミをぶつけられるくらいのことは重慶では、我慢しなくちゃいけない。
なにしろ日本軍が200回の空爆で26000人の市民を殺した街なんだから。
まさか、そのことを知らずにサッカーの応援に行った日本人はいないと思うけど・・・
これに対応するように、宇都宮徹壱が現地からレポートしている(スポーツナビ-日々是亜洲杯2004 突然の外務省の勧告にモノ申す-
外務省の皆さんは、日本のサポーターやサッカーファンの経験値を見くびってはいけない。彼らの大半は、Jリーグにおいて日常的にブーイングを浴びたり浴びせ返したりしているツワモノであり、国外においても重慶のスタンドよりも数段危険な修羅場をくぐり抜けている経験の持ち主である。要するに経験豊富で、アウエーの地における機微も持ち合わせているはずなのだ。大体そういう連中でなければ、伊達や酔狂、物見遊山ではるばる北京を訪れることもないだろう。彼らとて、それなりに覚悟はできているはずだ。
そうだよな、覚悟はできているさ。奥歯を噛みつぶすほどに敵のチームを呪い、頼まれもしないのに狂おしいほどの愛情を味方チームに注ぐ。フットボールとはそういうものだ。だからこそ、今大会の反日ブーイング騒ぎのようなフリクションなど、ちっともめずらしくことではない。たとえば、先のUEFA EURO 2004(tm)でもそうだったように。

どういうわけか、この国のマスメディアは報じなかったようだが、MediaGuardian-Tabloid campaign forces referee into hiding-を読んでもらいたい(といっても、The Guardianに登録しないと読めないのか)。

簡単に要約しておく。イングランド-ポルトガル戦で主審を務めたスイス人レフリー(ウルス・マイヤーさん)に対して、アホでマヌケなイングランド野郎たちが電話やメールで「殺してやる」と脅迫(death threats)し、マイヤーさんはスイス警察の保護のもとで身を隠さざるを得なくなった。

どうしてこういう事態になったのか。ソル・キャンベルのヘッディングシュートをキーパーチャージと判定し、ゴールにしなかったからである。

あのマヌケな審判(half-wit referee)のおかげでイングランドは負けてしまった。そうしたイングランド野郎たちの怒りにおもねるように、The Sunがマイヤーさんの電話番号、メールアドレスを掲載して、読者に抗議するよう呼びかけたからたまらない。さらにThe Sunを追いかけるように、他のタブロイド紙もマイヤーさんのプライバシーを暴き始めるなどやりたい放題。負けじと本家本元のThe Sunも、マイヤーさんの自宅前に巨大なイングランド国旗(St George flag)を掲げてパチリと撮影するなど事態はとんでもない方向に走り出す。イングランドのあるスーパーチェーンにいたっては、「スイスの方に限って無料視力検査をサービスします」といかにも嫌みなキャンペーンを行い、「マイヤー氏がお望みならばメガネも贈呈したい」などといい出す始末だ。

ギリシアでバカンスを楽しんでいたスイス人のお嬢さんは、スイス代表ユニフォームのレプリカを着ていたのが運のつきだった。最悪のイングランド・フーリガンに殴る蹴るの暴行を受け、重傷を負ってしまった。両目は腫れ上がり、鼻はつぶれ、腕も折られてしまい・・・それでも、彼女はイングランド代表チームが大好きなのだ。

スイス側も反撃体制に入る。ラジオのディスクジョッキーはThe Sunのメールアドレス、電話、ファックスナンバーを連呼し、スイス野郎たちに反撃を呼びかける。となると、イングランド野郎たちもスイスのラジオ局に再反撃して・・・でも、この騒ぎも何となく収束していったようだ・・・Football Nationsとは、つまるところそんなものだ(だから、アホでマヌケなChineseどもの日本政府官庁Webサイトへの攻撃なんて、バカが・・・と笑っていればいいだけのこと)。

しかし、ここでも教訓はある。問題はマスメディアだ。The Sunの煽りがなければ、ポルトガルに負けて打ちひしがれていたイングランド野郎たちが一人の善良なるスイス市民を脅迫するようなこともなかっただろう。

なにもフットボールに限ったことではない。昨夜から半藤一利の「昭和史 1926-1945」を読んでいるのだが(たまたま「積ん読」本の山のなかにあったんだよ)、満州事変のとき、当時の新聞は、軍の思惑通りに戦争を煽りに煽った、とある。毎日新聞の政治部記者の一人は「事変の起こったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に”毎日新聞後援、関東軍主催・満州戦争”などといっていましたよ」といっている。朝日新聞もひどいものだ。戦後、「天声人語」で名を馳せた荒垣秀雄という名記者も、とんでもなくいさましい提灯記事をバリバリ書いている。売れるならばマスメディアは何でもやる、ということだ。

今大会の反日ブーイング問題に対して、両国の政府やマスメディアはあくまで「政治とスポーツを区別する理性を持て」という「建前」あるいは「大義名分」を盾にして<日中友好>を謳っていなければならない。国際化(グローバル化)なんて、どこの国の小さき人々(大衆)にとっても「ロクでもないムーヴメント」でしかないが、建前は必要だ。そうしてもらわなければ困るのだ。ギャーギャー騒がしいのは、両国のフットボール・フリークどもに任せておけばいい。

アホでマヌケなJapaneseの一人として、アホでイナカくさいChineseどもに呼びかけたい・・・いつまでも、仲よくいがみ合い、仲よくケンカし続けようぜ

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2004-08-05

ブッシュ君、ケリー君はともに元気かな・・・

ブッシュ、ケリーの両君はどうしているのかな? アメリカ大統領選挙戦の現状を冷やかしておこう。

その前に、This Land-ブッシュ&ケリー競演によるフラッシュムービー-を紹介しておく。大統領選挙をさかなにしたジョーク・アニメである。マスメディアで報じられたようで、探しているヒトは多いみたい。サーチエンジン経由で「小さなメモ帳」に迷い込んでくる方々のなかにも、お探しの方はいらっしゃるようだ。どうぞご覧になってくださいね。

このムービーが繰り出す「からかい」や「あてこすり」には、それぞれにエピソードがあって大いに笑わせる。たとえば、ケリー、エドワーズと並んだディーンが「ワァー!!」と叫ぶシーン。これは民主党予備選の序盤を制していたディーンが急激に支持を失うきっかけとなった絶叫演説を皮肉ったものだろう。ビル・クリントンがヒラリーに平手打ちされるシーンにも吹き出してしまう。そんなシーンが次々と続くからたまらない。2004大統領選挙戦が生み出した数少ない「傑作」というべきである。なお、This Landの前にCMムービーが流れるので、少し辛抱して待ってくださいね。

さて、ブッシュ、ケリー両君の最新情報である。昨日(GMT)、両君はアイオワ州ダベンポートという街でニアミスを起こしたんだ、とか。 BBC NEWS-Bush, Kerry cross paths in Iowa-によれば、アイオワ州というのは激戦州らしく、両候補とも力の入るところなのだろう。

Iowa is one of the swing states the two presidential candidates are targeting ahead of the election on 2 November.

In the 2000 election, Iowa went to Democratic candidate Al Gore by a margin of less than 5,000 votes.
偶然とはいえ、ブッシュ大統領とケリー候補がお揃いでやってきたダベンポート市では大統領選挙の話題でもちきりかといえば、どうもそうでもないらしい。
Political pundits were not the only ones taking advantage of the day's events.

Three local banks were robbed as the campaigns hit Davenport.The first robbery occurred just as Mr Bush stepped off his plane, local police say.

The second and third robberies - at different banks - took place while the two candidates were addressing their respective Iowa crowds.
なになに、3つの銀行がブッシュ、ケリー両君のキャンペーン中に強盗にあって・・・1つめの銀行は、ブッシュ君が飛行機から降りたちょうどそのときに。2つめと3つめの銀行は、ブッシュ、ケリーの両君が支持者に向かってつくり笑いしたり、握手したり、両手をあげて立派そうなポーズをとったり(ここらあたりは私の想像だけどね)している時間帯に強盗にやられたんだ、と・・・テレビのトップニュースや新聞1面を埋めつくさなきゃならないブッシュ君とケリー君、銀行強盗とも競わなくてはならないなんて・・・大統領候補ってのは、確かにタイヘンなんですねえ。

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2004-08-04

アジア・カップ、ジーコ・ジャパンは決勝へ・・・

日本もアジアの強豪国に定着したんだなあ・・・The Asian Cup China 2004におけるジーコ・ジャパンの戦いぶりを観ての感想である。

とはいっても、ジーコ・ジャパンの戦いぶりには多くの不満がある。フィジカルの弱さ、間のびした中盤、相も変わらぬ決定力のなさ・・・いい出せばきりがない。ジーコ監督の采配にしても、大会全体を見通した戦略的な視点が感じられない。「結果オーライ」だから誰もいわないのだろうが、すでに決勝トーナメント進出を決めていた予選最終戦(対イラン戦)の戦い方など、まったく理解に苦しむ。焦熱地獄のようなコンディションのなかでの連戦である。疲労対策やチーム全体のモチベーションの維持を考えると、いくつかのポジションでサブのプレイヤーを先発に起用すべきだった、と思う。

確かにジーコは<神様>だから、彼一流の<闘魂主義>に神秘的な部分が宿るのはしょうがない。今大会において神様の闘魂は、巧妙かつ適切にジャパン・ブルーに憑依した。神様の闘魂に駆動されているのだから、ジャパン・ブルーの戦士たちは無敵である。彼らは中国人観客の「日本鬼子、負けろ」とひたすら希求するだけの貧相な期待を打ち砕き、ギャーギャー騒がしいスタンドに失望という厳かな沈黙をプレゼントし続けてきた。闘魂が戦略的理性の欠如をものともせずに、快調に突っ走っているのである。

だが、神様の闘魂は時と場所を選ばないものだろうか。いつでもどこでも私たちのセレソンにトランスファーし続けるものなのか。ジーコの<闘魂主義>は永久不滅なのか・・・勝ち続けるジーコ・ジャパンに向けられた私の不満と不安である。

不安や不満があろうとも、いまのジーコ・ジャパンはたくましい。勝利に向けて、ゲームを粘り強く、冷静に支配している。何十年も日本代表を見続けている眼からすると、強くなったもんだ、と感心してしまう。

日本代表が強くなったなあ、と実感したのは、たとえば「ヨルダン戦」でのPK戦だ。キャプテンの宮本恒康は自分のWEBサイト Tsune's Street since 1977: DIARYで次のように述べている。

延長が終わってPK戦に突入。俊とアレが蹴ったときに、(テレビで見たらあんまり分からへんかもしれへんけど)足元の芝がすんごいめくれ上がっててん。あんな状況ではまともなキックができるはずがない。ボールを蹴ろうとして軸足を踏み込んだら芝生が動いて、そのおかげでボールが動いてしまって、ボールの下を蹴って上へ飛んでいってしまう。何とかできへんかなと思って、「フェアじゃないから反対のゴールでやってくれ」って主審に言ってみてん。ダメもとで提案してみたら考えてくれてゴールを変更することに。
キッチリと自己主張して主審を説得する。ポルトガルでの「EURO 2004」の取材から一転して中国入りした宇都宮徹壱氏も「PK戦の明暗を分けた宮本の交渉能力 」を真っ先に勝因としてあげている-スポーツナビ-日々是亜洲杯2004 消耗戦の末の勝利-
PK戦の途中でサイドが変わるという事例は、長いプレーヤー経験を持つジーコ自身「見たことも聞いたこともない」というくらいだから、やはり非常にまれなケースなのだろう。ゆえに宮本自身、この訴えが受理される可能性は極めて低いと感じていたはずだ。それでも彼は「蹴りづらいピッチで行われるのはフェアではない」と、選手としての立場から主張したのである。もともと英語に堪能な宮本ではあるが、それでも日本人にとって外国人相手のネゴシエーションというものは、決して容易なことではない。ましてや、あのような緊迫した状況の中で(この時はスタンドのブーイングが最高潮に達していた)、ピッチ上の法の番人であるレフェリーに堂々と交渉を試み、結果として相手の譲歩を引き出すことに成功したのだから、これは大偉業であるといえよう。日本代表は本当に頼りになるキャプテンを持ったものである。
宇都宮氏がいうように「本当に頼りになるキャプテンを持った」ことを喜び、感謝しなければならない。だが、より注目すべきなのは「宮本が<英語>で自分の主張を相手に伝えた」という単純な事実だ。もちろん、ジーコ・ジャパンにあって、いくらかなりとも英語を使えるのは宮本だけではないだろう。多くのプレイヤーが<英語(外国語)によるコミュニケーション>に対してアレルギーを持たないにちがいない。

フットボールが国際的なスポーツである限り、Aマッチを戦う選手たちは「言語の壁」とも戦わざるを得ない。以前の日本代表ならば、すでにこの壁の前で負けていたであろう。<英語という技術>もまた正確なパスの技術やトラップの技術と同様に、日本代表の強さを支えるリソースの一つなのである。千のガンバリ、万の根性よりも、小さくても確かな技術が大事なんだ・・・村上龍あたりのエッセーによく書かれているようなことではあるが、確かにその通りだ。

フットボールというのは不思議なものだ。プレイの質、ゲームの運び方などにその国、その社会の在りようが映し出されてしまう、という。フットボールの代表チームがその国のフットボールの精華である以上、当然に代表チームはその国・その社会を象徴的に示すことになる。英語という技術を駆使して交渉するキャプテンに率いられた日本代表のプレイヤーたちは、日本の若い世代が内包する強さと希望の象徴である・・・PK戦に勝ち、抱き合って喜び合うプレイヤーたちを眺めながら、英語を話せない腰痛持ちのオッサンもまた、喜びのあまり(偉そうに)そんなふうなことを感じていたのである。

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