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2004-05-26

無線Lanとヤクの放牧と・・・

年を取ると、世の中の変化に対してもシニカルな視線を浴びせがちだ。

たとえば、である。IT? 世の中のどこを変えたっていうんだ? ガキがケータイでチャラチャラ遊んで、うるさくなっただけじゃないか・・・そんな感じである。

しかし、テクノロジーというのは世界をゆっくりと変えていくんだな、と感得せざるを得ない瞬間も確実に存在する。たとえば、次のような記事に出会ったときだ。

BBC NEWS-Wi-fi lifeline for Nepal's farmers-

無線Lan(Wi-fi network)がヤクの放牧で暮らすネパール農民たちに大きなメリットと将来への希望を与えている。ヤクの放牧地は村から2日間も歩く広さ。電話もない村とその周囲に広がるヤク放牧地にあって、Wi-fi networkは農民同士のコミュニケーションを確保し、その家族とメッセージを送り合うことも可能にした。

以前、BBC NEWS ONLINEは、Mahabir Punという地元の教師がこのプロジェクトを立ち上げようと苦闘している様子を記事として取り上げたのだという。2001年のことだ。その記事は大きな反響を呼び、多くの読者から寄付とアドバイスが寄せられることになった。その結果、寄付された中古機材と現地にやってきたボランティアの助けにより、Pun先生たちの計画-vision of a networked Nepal-は現実のものとなったのである。

それから3年が経ち、いま5つの村がネットにつながっている。記事には詳述されていないが、いまもネパールでは政府軍とマオイストとの間で激しい戦闘が続いている(BBC NEWS-'Five dead' in Nepal fighting-のような記事が、しばしば欧米のメディアでは配信されている)。しかし、Pun先生たちは希望を捨てていない。

"It is very useful and exciting also, as no means of communication exists in the rural areas of Nepal right now because of the fighting."
いま、Pun先生たちは、教師のいない遠くの村の子どもたちにネットワークを使って授業を提供することも考えているという。
"We are trying to find ways of doing live teaching from one school by one teacher to several schools at the same time,"
"If we could do that, it would be very helpful."
ここはシニカルにならず、<ITは世界を変える>ことを認めよう。ともあれ、Pun先生とヤクを追い続けるネパールの農民たちのために、彼らのWi-fi networkが強い電波でしっかりとコネクションを確保し続けることを祈りたい。

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2004-05-24

マイクロソフトの「後出しジャンケン」は・・・

Gates backs blogs for businesses

数日前にBBC NEWSが配信した記事である。マイクロソフトの本社で開催されたMicrosoft's CEO Summitでビル・ゲイツ氏は「Blogはビジネスに有効だ」と力説した。Eメールやウェブサイトに較べて、Blogが持つ利点をゲイツ氏は以下のようにまとめている。

E-mail messages could be too imposing or miss out key people who should be included, said Mr Gates.
Websites were a problem too, he added, because they demand that people visit them regularly to find out if anything has changed and require regular updating to avoid going stale.
These problems could be solved, said Mr Gates, by using blogs and Real Simple Syndication (RSS), that lets people know when a favourite journal is updated.
マイクロソフトでは700人の社員がブログを使っており、すでに新製品や従来からの製品の開発プロジェクトにもBlogツールが使われているのだとか。

さて、ビル・ゲイツ氏が賞賛するようにビジネス・ツールとしても有用なBlogツール。現在、マイクロソフトはそうしたサービスを行っていない。当然、「リッチモンドの巨人」も動き出すことになるだろう(マイクロソフトはワシントン州シアトルの郊外、リッチモンドに本社がある)。

Microsoft currently does not make any individual blogging tools but it is widely expected to move into this space soon. If it does the move would pitch it into even sharper competition with Google and others such as AOL.
Blogをめぐってマイクロソフトが動き出すと、GoogleやAOLなどとの激しい競争が始まるだろう・・・そのようにBBCの記事は予測している。

新しい技術に対するマイクロソフトのノロノロした対応(ある意味で<後出しジャンケン>だな・・・)は、その十分すぎる市場支配力と資金力によって、先行する勢力から技術の中核を奪い、彼らを市場から叩き出してしまう結果をもたらしてきた。

脇英世「インターネットを創った人たち」

この本の最終章は「マイクロソフトはいかにしてインターネットを征服したか」である。94年の段階になっても、マイクロソフトはパソコン通信のMSNに固執し続けていた。すでに92年の段階で世間のトレンドは「これからはインターネットだ」と動き出していたのに、である。ようやく自らの遅れに気づいて焦ったマイクロソフトは、スパイグラスからブラウザーのソースコードを安く手に入れるとともに、95年以降、ネットスケープに対する激烈な撲滅作戦を開始した。

こうしたマイクロソフトの歴史(前科)を振り返るとき、今回のBlogをめぐる彼らの<後出しジャンケン>が、すべてのBlogユーザー(ウェブサービス・ユーザー)に利益をもたらすような公正な競争につながることを期待せずにはいられない。

なお、この本によれば、

1991年当時のマイクロソフト幹部はインターネットにまったく無知で『TCP/IP』をして『TCピップ』と呼んだらしい。まさに噴飯物である。これがどれくらい抱腹絶倒ものか非技術系の人には分からないかもしれないが、もし技術の会社を名乗りながら、そんなことを口走ったら、まず絶対に相手にされない。IT(情報通信技術)を『イット』と独創的な読み方をしたこの国の宰相がいたが、それよりもっとひどい。
とある。91年当時とはいえ、マイクロソフトはIT業界のトップ企業の1つだったはず。確かに「TCピップ」はないよなあ・・・である。


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リンクだけのメモはダメだと・・・

梅田望夫・英語で読むITトレンド-Blogは究極の知的生産の道具-

梅田さんは、Blogを「知的生産の道具」として上手に使っている。彼によると、Blogがツールとして優れているのは、次のような理由からだという。

(1)時系列にカジュアルに記載でき容量に事実上限界がないこと、(2)キーワード検索ができること、(3)手ぶらで動いていても(自分のPCを持ち歩かなくとも)、インターネットへのアクセスさえあれば情報にたどりつけること。(4)他者とその内容をシェアするのが容易であること。
Blogを「知的生産の道具」として使う場合、次のようなことに注意する必要があるとしている。
(1) 対象となる情報源がネット上のものである場合は、リンクを張っておくだけでなく、できるだけ出典も転記し、最も重要な部分だけはカット&ペーストしてしまうことである。(情報源へのリンクはいつ切れるかわからないから)
(2) 対象となる情報源がネット上のものでない場合(デジタル化されていない本や雑誌の場合)は、出典を転記し、手間は少しかかるが、最も重要な部分は、写経するように筆写してしまうことである。
上記(1)はその通りだ。過去のメモにおいても、リンクが切れてしまったニュース記事は多い。欧米のメディアは過去の記事をしっかりアーカイヴして公開しているが、日本の新聞社のネット配信記事などは、あっという間に消えてしまう。重要な部分はカット&ペーストしておけ、という梅田さんのアドバイスはとても大切。

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2004-05-23

労働を猶予される日曜日に・・・

五月晴れである。透明感漂う空の青さのように、私の<心>も心地よく安定している。なぜか? 今日が日曜日だからだ。労働を猶予される休日だからである。

私は仕事が嫌いである。とはいっても、客観的に見て、私の仕事などラクなものだ。マシュマロみたいにヤワな仕事である。それなのに、私はその「マシュマロ」が大嫌いだ。では、仮に私の仕事が世間の相場からしても「ハードだねぇ、たいへんだよねぇ・・・」というような仕事だったら、どうなのか・・・あっさり死んでるだろうね、たぶん・・・

なぜ、私は労働を忌み嫌うのか。だが、一方では「仕事は生き甲斐、働くのが楽しくて・・・」などという(私からすると)到底信じられないセリフを真顔で呟くようなヒトが存在する。思えば、この問題を解くことこそ、私に課せられた<人生の課題>の一つではあるなあ・・・

たとえば、である。いま、そうしているように「思いついたバカ話をメモすること」が私の仕事だとする。どうだろう? 「自由な物書きかあ・・・ならば、けっこういいんじゃないか・・・」 仮にそう考えるならば、それは勘違いも甚だしい。あえて言うまでもなく、締め切り期限までに要求されたテーマ、文章の質や水準、分量などをクリアし続けて、何とか<暮らしの糧>としていくのは、日々地獄巡りしているようなものだ。凡庸であることを最大の才能とする私(やあなた)にあって、こうした暮らしに耐えられるはずもない。

村上龍さんの13歳のハローワークが売れ続けているという。

村上龍さんの「13歳のハローワーク」が100万部に

作家村上龍さんの「13歳のハローワーク」(絵・はまのゆか、幻冬舎)が13日、2万部の増刷を決め、発行から約半年で100万部になった。「好奇心」を入り口に500種以上の職業を図鑑風にまとめたもので、約7000の教育機関が教材として購入したこともミリオンセラー達成を後押しした。
医師や弁護士、料理人など伝統的な職業だけでなく、クワガタ養殖からホスト、競馬予想師まで幅広い現代の職業を紹介しているのが特徴。幻冬舎の石原正康常務は「いい大学を出て、いい会社に勤めれば幸せになれるという常識が崩壊したなかで、新しい職業観を提供する図鑑になった」とヒットの理由を分析している。
出版界では350万部の「バカの壁」(養老孟司、新潮新書)、251万部の「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一、小学館)など記録的なメガヒットが生まれている。「13歳……」は、大判で2730円(税込み)と高価格で、売り上げとしては両作品に迫っている。(朝日新聞 05/14 06:28)
おいおい、私は村上龍の小説は大好きだが、こんなバカらしい本に2730円も出しはしないぞ。書店の店頭で眺めただけで、この本が仕事=労働の本質とはまったく無縁であることがすぐに理解できたからである。

そもそも、この本のコンセプトは「人生は一度しかない。好きで好きでしょうがないことを仕事にしたほうがいいと思いませんか?」である。ここに見られる論理は、「好きなことをみつける → それが仕事になる→ 毎日、好きなことができる → 人生が幸せになる」というものだ。

あえて指摘するまでもなく、こんな単純な論理でヒトの人生と人生にとって決定的な意味を持たざるを得ない仕事=労働の意味を解くことは不可能である。言うまでもなく、このような論理で世界を認識できるのならば、こんな幸せなことはない。世の中の親御さんたちが2730円も支出してこの本を購入するのは、彼らと彼らの子どもたちが生きていく世界がそれほど単純ではないことに悩んでいるからである。

その意味で「13歳のハローワーク」というミリオンセラーは、脳天気な作者の想いと行き場のない悩みを抱えた読者大衆の想いの「ミスマッチ」がはからずも醸し出してしまったポテンシャルエネルギーの結果としか言いようがない。つまり、それは「誤解にもとづく100万部」なのである。

13歳の子どもを騙してはいけない。ホントのことを教えなくてはいけない・・・大好きなことであってもね、いったん仕事にしてしまうと、だんだんに嫌いになってしまうんだよ。もちろん、嫌いなことを仕事にすると、ますます嫌いになるんだけど、何年も仕事をしていると、好きも嫌いもみんな「大嫌い」になるから、結局は同じなんだ・・・正しくはそのように伝えなければならないのである。

仕事=労働は楽しくない。それは動かしようのない事実だ(私はこのような事実を統計学的な観点から「真実」と呼びたい・・・)。そうであればこそ、少しでも「労働という拘禁状態」から私たちの「心身を解いていく」ことが決定的に重要になる。

ところが、知ってのとおり、私たちの国は「8時間労働制」を定めたILO第1条約さえ批准していない国である。200余りあるILO条約のうち日本が批准しているのは、4分の1程度だろう。「過労死110番」全国ネットワークの資料を見ると、「過労死」をめぐる相談件数が年を経るごとに増加している。仕事に追いまくられて死んでしまうのだ。まさに最悪の死である。

「過労死」の犠牲者たちのなかには「仕事は生き甲斐、働くのが楽しくて・・・」というヒトたちが、相当に含まれているのだろう。こういうタイプのヒトというのは、残業などもストップが利かなくなりやすい。どうして、そうなってしまうのだろう?

風邪をこじらせて床に伏していたとき、天才・アラーキーの荒木経惟写真全集 (18)-緊縛-を眺めていた。バス停に縛り付けられるセーラー服、縛られて空中に吊されるナースや銀行レディ、和室に転がされる和服姿の淑女・・・そんな写真の数々を見続けていると、否応なしに<拘禁すること/拘禁されること>のそれぞれにもたらされるだろう快楽と苦痛、恐怖と恍惚、充足と欠落・・・について考えさせられてしまう。もちろん、別に仕事や労働のことを考えていたわけではないのだが・・・

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2004-05-20

寝床で眺める写真集・・・

死にそう・・・ちょっと大袈裟か、単なる風邪をこじらせただけだというのにね。
でも、(私に限ったことではないが)ヒトたるもの、ホントのところは実に弱い存在だ。かぼそい葦より弱い。ここ数日、仕事場に出かけることもままならず、布団にくるまって、ハア、ハアと口呼吸していると(鼻梁が歪むほどの鼻づまりなんだ)、「ああ、オレは何のために、こうして生きてるんだ・・・」と15歳の少年のように<生の意味>を問う羽目に陥ってしまった。いい歳をしたオヤジが・・・まったく、語るべき言葉も見つからないだろ? きっと、発熱で頭がやられたんだ。

araki flash-荒木経惟-

この間、天才・アラーキーの写真集をたくさん眺めていた。その数、十数冊・・・街、空、夕暮れ、女たち、人妻、少女、たくさんのお尻、繰り返される陰毛、卑猥な花々、可憐な猫、寂しげな旅、誰にも語ることのできない悲しみ・・・写真集を読み解く習慣=文法を持たない私には1つの例外を除いて、どれもこれも同じように見える。何しろ、アラーキーはエネルギッシュだ。それは間違いない。

例外は最愛の妻・陽子さんをガンで失う悲しみを綴った(まさしく「写真で綴った」だ)写真集、「センチメンタルな旅・冬の旅」

パラパラとめくっていくと、ジワジワとセンチメンタルなウェーヴがやってくる。「かぼそい葦」を震わせる悲しみの浸透圧。感傷的な気分の昂進は、鼻づまりによる酸素不足ばかりが原因というわけでもないだろう。あるいは発熱で朦朧とした意識の為せるところばかりでもないはずだ。写真の力である。最愛のヒトを失う悲しみが布団の中の「口呼吸者」にも伝播する・・・天才の力である。

アラーキーに泣かされたついでに、女性作家・神蔵美子の作品、「たまもの」にも泣かせてもらおうと思った。何しろこの写真集、表紙からして著者の大泣きの姿なんだもん。

しかし、こっちは泣けなかったなあ・・・内容は、要するに神蔵さんを軸とする「三角関係」の記録。彼女のお相手は、坪内祐三さんと末井昭さん。言うまでもなく、一方は批評家として、他方は編集者として、ともに当代随一の人気者のお二人である。この両者との「関係」に向けられた神蔵さんのカメラ・レンズは甘い、文章はもっと甘い。なるほど、マンガの世界なのか・・・一切のマンガの類を読まない私は、そんなふうに理解して(誤解して?)読み進める。

神蔵さんもエネルギッシュである。これは間違いない。愛情に正直である。愛情に正直すぎる女性を前にして、多くの男性は「かぼそい葦」と化し、ユラユラと頼りなく揺らめかざるを得ない。小さな人間はそういう揺らめきが苦手だ。その意味で、さすがに神蔵さんのお相手であるご両人は違う。愛情において、性愛において、大きい。小さき人間が忌避しようとする揺らめきを、自ら積極的に引き寄せようとする。

しかし、相手側の大きさに甘えて、本来は「秘匿すべき関係」(と私は考えるけど・・・)を記録し、商品化する著者の「大いなる甘え」を私は好まない。あるいは、彼女の甘えを素早く「商品価値」として計算する(してあげる)坪内、末井という二人の男性表現者たちの「表現」至上主義を鬱陶しいものに感じる。著者の「大いなる甘え」が偉大な何かに接続しているとも思わない。

神蔵さんのお相手が「坪内祐三」ではなく、「末井昭」でもなく、無名の男性「X氏」と「Y氏」であったならば、どうだったのか・・・そう考えると、私たちの社会における「写真集」というメディアの特性や「写真=芸術」を読み解く文法の秘密も幾分かは理解できるのかもしれない。

最後に、荒木経惟や神蔵美子の写真集を貸してくれたわが友人、<ブンガクシャ>に大感謝しなければ・・・おかげで最悪の2日間を何とか(ヒトとしての意識を失うことなく)生きることができた。ありがとうね。しかし、「あれ、読みたい・・・」というと、さっと十数冊持ってきてくれる<ブンガクシャ>のお家はどうなってるんだろ? 本の重さで家屋倒壊なんてことがないことを切に祈りたい。

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