なぜかメモは長くなってしまい・・・
「小さなメモ帳」を記し始めてから、2か月半近く経ちました。当初、私の関心は日常生活のなかで出会う雑多な情報を思いつくままにクリップしておこう、というものでした。したがって、それは「ラクちゃん」の画像やPDAやケータイからのメールなどといったごくありふれた行為や光景の記憶の破片を寄せ集めることから始まりました。そうすることによって、「見たことや聞いたことなど」を再構成してみよう、と漠然と考えていたからです。
ところが、どうしたわけか、私の書くメモは次第に冗長なものへと変化していきます。短い報告から長々しい陳述へ・・・長くなれば、メモに費やす時間もかかります。それにつれて、億劫さの度合いも高まることになります。
Joi Ito's Web - JP: ブロガーの壁と多面性の崩壊、および魔法の数字150について
なるほど・・・どうして、メモの冗長度が高まっていったのか、よく理解できるような気がします。
ウェブログで問題になるのは、読み手が多様なコミュニティに属するバラバラの人間であるがゆえに、書き手のアイデンティティの多面性は決壊し、結果として、公的なアイデンティティとしてはある意味「浅い」人格を選ばざるを得なくなるということだある種の人格=アイデンティティを選び出すことにより、その人格=アイデンティティに沿うような<記述のフォーメーション=文体>へと追い込まれてしまうこと。簡単にいえば、そのように見られたい私を演じるために、そのように記述してしまうこと・・・私の場合、伊藤さんの「『浅い』人格」にあたるのが、「陳述の冗長さ」ということになるのかもしれません。
そういえば、そもそも「小さなメモ帳」の存在を伝えている人々と伝えていない人々がいることに気づきました。面白いことに前者のグループに較べて、後者のグループの親密度が低いのかというと、まったくそんなことはない。どちらも、私にとって親しい人々なのです。にもかかわらず、一方には伝え、一方には伝えない・・・私は、この二つのグループの人々に対して、微妙に異なる人格=アイデンティティで接している(あるいは、接していたい)のでしょう。私という人格=アイデンティティをめぐる小さな発見の一つです。
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