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2004-01-31

読めなかった昨日の新聞には・・・

昨夜は、1時過ぎまで宴会に付き合っていました。帰宅したのは2時ごろだったかな。ともあれ、疲れました。

深夜の帰宅といった日々が続くと、心身ともに疲れがたまって・・・というのは当然ですが、他にも小さな悩みがいくつか出てきます。たとえば、お風呂にゆっくり入れないとか、大好きなテレビドラマ(いまは、もちろん「白い巨塔」かな・・・月並みだね)を見逃してしまったり、あるいはビデオ録画を忘れたり・・・そんな悩みの一つに「新聞をじっくり読めない」というのがあります。

ところで、昨年の秋ごろだったかな。天気の良い休日、自宅前でブラブラしていると、古紙リサイクル業者のオッサンがやってきました。私のお家の同居人は、このオッサン以外との取引きをひどく嫌います。このオッサンとの取引きを優先し、(町内会主催のリサイクル事業みたいなものも含めて)他を嫌う理由は、よく分かりません。以前、同居人にそのことを訊ねてみたことがあります。「一家の主人たる男がそんな小さなことに対して、いちいち気にかけるべきではない・・・」と逆に一喝されてしまいました。

オッサン 「ダンナさん、古新聞あるかい?」
ダンナ  「あるよ、ちょっと待ってて・・・」 (紐で結わえた古新聞の塊をいくつも持ち運んできて・・・)
オッサン 「あるねえ・・・そこらのマンションあたりじゃ、新聞なんか取ってないからねえ・・・助かるよ」
ダンナ  「新聞、取ってないヒトって、多いの?」
オッサン 「ああ、いまどきの若いヒトはね。テレビの番組予定が載っている雑誌みたいなものあるだろ、あれだけで十分って感じなんだろな」
さらにオッサンは、わざわざ新聞を定期購読しなくとも、パソコンやケータイでニュースは読めるし、それに何よりもテレビがあるではないか・・・と、まるでメディア批評家のような口調でニュースを取り巻く昨今の環境について説明してくれた後、「でも、みんながそうなると、オレたちの商売は困っちゃうわけだけどね・・・」と一転して弱気な口調で語ったりもしたのです。

新聞(紙)の時代は終わりを告げようとしているのでしょうか。深夜に帰宅し、そのままベッドに倒れこみ、翌朝には慌ててシャワーを浴びて、ろくに食事も取らずに家を飛び出して・・・そんな慌しい日々のなかで、毎朝毎夕、配達されてくる新聞は、あたかも不良債権のように古新聞として溜まっていくだけ・・・そう考えると、古紙回収業者のオッサンがいう「いまどきの若いヒトは、新聞の定期購読などしない」というのは、とても合理的な選択というべきなのかもしれません。

「新聞は生き残れるか」(岩波新書)という新書本において、朝日新聞の記者だったという著者は、「新聞の未来」に対して、不安に満ちた悲観的なまなざしを注いでいます。全国津々浦々、家庭や職場の隅々にまで新聞が配達され、誰もが新聞を読まなくちゃ・・・と信じていたのは、もうずいぶん前のことです。この国の小さき人々(「大衆」と読もう)の頭のなかにセットされていた「『新聞も読まない人間』と呼ばれないためにも、新聞だけは読んでおくべし」という強迫観念は、もうとっくに溶けてなくなってしまったのでしょうね。

古新聞になるだけだよ、邪魔だなあ・・・Asahi.comYomiuri Onlineですべて済ませないものか。そう思って、あらためてこれらのサイトを眺め直してみました。その結果、やっぱり頼りないな・・・そう思いましたね。まず特集記事や解説記事の多くが読めません。また、ちょっと時間が経つと、古い記事は消えてなくなってしまいます。もちろん、速報性こそがネット配信の長所ですから、なるべく速く新しい記事に更新していくのは当然のこと。でも、昨日の記事くらいは読みたいじゃありませんか。

しかし、こうした不満は無料サービスだから、なのでしょう。有料サービスでは、Paper版に掲載されている全ての記事が読めるのでしょうし、過去の記事のデータベースにもアクセスできるはずです。その意味では、原理的にはネット配信でOKだ、ということになります。すでに問題は、ネット配信版の新聞を気軽に、そして気持ちよく読むことができるデバイスやディスプレイのコストとパフォーマンスだけなのかもしれません。

ところで、数か月前のニュース記事を読みたいという場合、Yomiuri Onlineでは、Yomi Clubに会員登録すると(メールアドレスなどの個人情報の提供を要しますが)、無料で過去6か月の記事を検索・閲覧することができます。これに対して、Asahi.comは有料サービスを申し込まなければダメみたいです。

無料で検索できる読売はともあれ、朝日には文句の一つもいいたくなります。というのも、長い間、私は朝日新聞の定期購読者なのです。定期購読契約者に対して、読売が無料でやっているサービス程度のことをやっても、罰はあたらないはず。「いまどきの若いヒトは、新聞の定期購読などしない」という時代だからこそ、新聞は「紙」と「Web」の連携を上手にはかっていく必要があるんじゃねーの・・・と余計なアドバイスをしたくなりますけどねえ・・・。

さて、読めなかった昨日の新聞、先ほどざっと目を通しました。ケチな人間である私は、何とか代金分は読まなくちゃ・・・と古新聞に立ち向かったりもするのです。昨日の新聞にも、面白い記事がありましたよ。

43年間放浪の男性、「社会復帰」 25年ぶり住民登録

こうしてみると、やっぱり、新聞ってのは、ソファに寝転がって読むもんですねえ・・・電子版なんてまだまだかも・・・あらためてそう思いました。


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2004-01-26

「紙幣ばらまき野郎」の愚行にも・・・

<紙幣ばらまき>元銀行員その後 ネット株取引のむなしさ消えず

「小さな住所録」の登録住人であるnaoton36号が、この記事を教えてくれました。ちょっとヒマができたので、メモしておきます。

なるほどね。<元銀行員>氏の気持ち、よく分かる気がするな。パソコンを通じてたった一人で相場に立ち向かっていると・・・買った、負けた、稼いだ、損した・・・要するに、それらはすべて投資パフォーマンスを表すバランスシート上のポジション変動に過ぎないわけだもんね。今日のポジションは、昨日よりも15ポイントだけプラス・・・それだけ・・・その繰り返し・・・それだけ・・・そこでは実体的な経験など、あらかじめ奪われているわけだから。

決済口座が取引停止に追い込まれない限り、<元銀行員>氏はほとんど永遠に「プラス○○ポイント、マイナス○○ポイント・・・」とポジションの確認を繰り返していく。まるでギリシア神話にある・・・そうそう、シジフォスの神話だっけ、そんな感じでトレーディングを繰り返していく・・・虚しくなるのは、当然かもしれない。

でもね、彼の気持ちが理解できるのは半分までだな。彼の孤独で虚しいトレーディングという行為は、私を含む世の中のほとんどすべての労働者=サラリーマンが繰り返している行為とまったく同じ性質のものでしょ? ただ違いがあるとすれば、彼が「一人ぽっち(単独)」で行っていることを、多くのサラリーマンは「みんな(集団)」で行っているというだけのこと。言ってみれば、一人きりのシジフォスとなるか、集団としてシジフォスになるか・・・違いがあるとすれば、それだけじゃないのかな。

しかし、ひょっとすると、この違いというのは、意外に大きな意味を持つのかもしれない。とりわけ、<元銀行員>氏のような若い世代にとってみれば、なんだかんだといっても、集団というのは、思いのほか大きい意味があるのかもね。もちろん、人それぞれに集団に対するスタンスの違いがあるから、何とも言えないけど・・・。

私なんか、シジフォス集団の一員でしかない現在の自分の姿よりも、<元銀行員>氏のように一人ぽつねんと無益・無償の行為を繰り返している方が、まだマシかな・・・などと思ったりもするけどね。でもなあ・・・若い頃、某銀行を辞めて無職となり、ぶらぶら遊んでいた時の記憶を手繰り寄せると、一人っきりというのも、そうそう楽しいものではなかったしなあ・・・。

小さな思い出

明け方まで遊んでいたある日のこと。私は喉の渇きにより目覚めることになった。時計を覗き込むと、ちょうど正午。ベッドから這い出し、とりあえず閉め切っていたカーテンを開け放った。キラキラと差し込む強い光線が、まだ半分眠ったままの眼球を直撃する。矩形に切り取られた真っ青な9月の空には、一かけらの雲もない。慌てて視線を室内に戻す。その時、突然、「強い感情」に襲われてしまう自分を発見する。あ~あ、おれってさ・・・
あの時の「強い感情」とは、いったい何だったのか? 不安感? それとも淋しさ? それとも・・・もちろん、ただ単に「若い」ってことの証明だったのかもしれないけれど…

ともあれ、いま、この国に限っても、何百万という人々が高度情報資本主義と化した経済社会のどこかに「生きる隙間」を見出そうと悩み、苦しんでいるんだろうな。どうにか「隙間」を見出した人々は、その居場所を失わないために、じっと我慢して毎日を耐えているんだろうな・・・そんなことを考え合わせると、<元銀行員>氏が行った「紙幣ばらまき」という愚行が持つ象徴的な意味合いというのは、意外に大きなものなのかもしれないね。

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2004-01-25

「小さな住所録」に大物が登場です・・・

「小さな住所録」に新人が登録されることになりました。先に登録した「naoton36号」に続くまたまたの大物新人の登場です。

ブロードバンドな男だ、sasukeだぞ
相次ぐ大型新株(違った、新人だ・・・)の上場に、「小さな住所録」ではなく、大きな住所録じゃないの・・・との指摘を受けてしまいそうです。でも、このままでいいんです。ここだけの話ですが、これらの新規上場株(違った、新人だ・・・)をして、「お、おっきいぞ!!」など煽っていますが、これから値上がりするのかとなると・・・だから、「小さな住所録」で十分なんですよ。

ところで、「小さな住所録」への登録には、いささかなりとも幾何学的な観点を必要とします。先に行われたnaoton36号の時に使用されたツールは、<小←──→大>という数直線。今回もこのツールを使って・・・と考えていたのですが、sasukeの場合、そうもいかないぞ、という結論に達しました。

つまり、こういうことです。こう言ってしまっては、「小さな住所録」の住人の間に差別的な取扱いを許容するかのような誤解が生じる恐れもありますが、あえて言いましょう。

naoton36号の大きさは、所詮、「2次元的な量」に過ぎぬ(許せ!!、naoton36号、真実の前で俺も辛いんだ…)。sasukeの大きさは、すでに「3次元的な空間的広がり」を獲得するに至っておる。
3次元的存在のsasukeです。そのためか、常に3通りの幻像となって私たちの前に立ち現れることになります(ちなみに、もう一人の住人「小さなお家の同居人」の場合、36通りの幻となり、毎日毎夜、私を苦しめているけどね・・・)。

Dimension1-リアルな世界でのsasukeは「小さな日本人」の一人として、こつこつと・・・。
Dimension2-Web上のsasukeは<うるとら>などと称して、善良なる老若男女に向かってあること、ないこと、どうでもいいことを喋りまくり・・・。
Dimension3-sasukeと自称してWeblogをオープン。何かを企んでいるようで・・・

おいおい、これって多重人格障害の徴候か、単なる詐欺師じゃないのか・・・まあ、そうとも言えましょうが、あえて私は「3次元方向に展開する人格領野の広大さ」と受け取りたい・・・そんなふうに感じればこそ、「小さな住所録」に<sasuke>と書き加えることに大きな期待を抱くわけです。

しかし、その一方、デカイだけで何の役にも立たん・・・という「大型新人」をもう一人抱えただけではないのか(許せ!! naoton36号、真実の前で俺も辛いんだ・・・)という不安を消し去ることはできません。

だから、sasukeよ、単なる詐欺師じゃないところを見せておくれ・・・そんなふうに祈りながら、じっと「小さな住所録」を見つめる私なのです。

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2004-01-21

SoftEther-Beta3、インストールです・・・

ちょうど一週間前になるのでしょうか。以前、「小さなメモ帳」にメモしたことのあるVPN(仮想Lan)ソフト、SoftEtherがBeta3へとバージョンアップしました。

SoftEther.comにBeta3がアップされるや否や、猿のような素早さでダウンロードして、早速、ThinKPadくんにインストールしてみました。

Beta3では、これまで用いられていた独自の暗号化プロトコルからSSLへと移行し、HTTPSに正式に対応した・・・とのことです。

早速、ファイアーウォール(プロキシ)越えの実験ということで、職場のLanにつないでみました。

私のところのLanは、管理者のチェックを経た上でならば、個人のノートパソコンをつなぐことも実質的にはOKなんです(何となく妙な言い方でしょ・・・いろいろあるんですよ・・・)。でも、外との間に挟まるHTTPプロキシの縛りは、当然のことながら、ガッシリときついわけです。

私にしてみれば、当面、外側とのVPN接続を行う必要などないのですが(というより、安易にしてはならないわけでして・・・)、niftyをはじめとするISPのプライベートメールには、Lanの内側から他に迷惑をかけることなく、(こっそりと)安全に送受信したい、という希望はありました。

そのためには、まずは開発者が提供している実験用仮想HUBにつなぐ必要があります。その手順は、次のようなことになるわけですよね。

●インストールした「SoftEther 接続マネージャー」でプロキシ経由の接続設定を行い、実験用仮想HUBにつなきます。
●そこからNATを経てインターネットに出て、ISPのPOP/SMTPサーバーと握手します。
ところが、Beta2の場合、これがうまくいきませんでした。仮想HUBには接続できるのですが、POP/SMTPは通してくれない・・・もともとちょっとした暗算さえ苦手な「文系くん」の私のことです。そのあたりの理由については、曖昧に想像するだけに止めておこうと思いますが、ともあれ、メールはダメだったのです。

そこで、Beta3です。結論からいうと、あっさりとメールが使えました。正しくHTTPSに対応したから、ということなんでしょうか。ともあれ、大助かりです。

ところで、初めてSoftEtherをインストールし、実験用仮想HUBにつないだ時のことです。仮想Lan上の同じワークグループを眺めてみると、10数機のマシンがつながっています。ヒマな私は、そのなかの数台を対象に接続実験してみました(何でそんなことを・・・でも、したくなるでしょ?)。すると、何と「ユーザ名:administrator、パスワード:なし」というマシンと簡単に出会ってしまったのです。アドミニ権限でアクセスできてしまうわけですから、全部のディスクとフォルダは真っ裸の状態で仮想Lan上に晒されている・・・いくらなんでも、これはマズイでしょ?

何とか警告してあげなくっちゃ!!・・・善人ぶったハイパーお節介野郎の私は(「小さい人間」というのは、そういう時、妙に燃えるんだよね)、とりあえず「あぶないよ~!!」という内容の文書をつくり、それをjpegとpdfのファイルにしてマシンのデスクトップとスタートアップに突っ込んでおきました。

さて、こうなると、お節介の奔流は止まるところがありません。リモートでマシンをシャットダウンするツールを使って、「危ない目にあっている可哀想なマシン」をそっと眠らせてあげたのです・・・ああ、良いことをしたなあ、と呟きながら・・・。

後日、友人の一人を相手にして、そんな話を得々としていた時のことです。煙草を吸いながら、黙って聞いていた友人が、呟くようにポツリと言ったのです。

「親切っていうのかい、そういうの?・・・ファシズムってのも、そんなふうに生まれたのかもな・・・」
だって・・・。


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2004-01-18

書名をクリックしてみれば・・・

あ~あ、疲れました・・・レンガ積み職人のように、すでに用意されたコトバのブロック(モジュール化されたコトバだな・・・)をコツコツと組み上げる作業がこんなに辛いものとは・・・。

オマエ、なにやっているの?・・・分からなくていいんです。「小さなメモ帳」は、お仕事やそれにかかわる「~ねばならない世界」(英語的には、duties incidental to a jobという感じかな)を語る場ではありませんからね。

「小さなメモ帳」は、<vanity>な遊びの場なんです・・・辞書で引くと、虚栄心、うぬぼれ、空虚、むなしさ、はかなさ、つまらなさ・・・それらが<vanity>に相当する日本語であるということは、あらまあ、いつの間にか、小さき人々にとってのWeb表現論、Blog効用論へと話はつながってしまったみたいです。

ところで、Blogの効用ということでいえば、数日前、東京にいる友人の一人がメールを送ってきました。同じく東京にいる共通の友人から「小さなメモ帳」のことを聞いたとかで(そんなこと教えたかなあ・・・)、短い感想が書かれていました。

彼の感想を要約すると、

やけにAmazonの本へのリンクが多いなあ。にもかかわらず、ページのソースをみると、Amazonのアフィリエイト・プログラム(Affiliate Program・・・販売促進のための提携ということだね、AmazonはAssociate Programと言い直しているけど)に参加しているようでもない・・・確かにオマエのBlogの中身を見る限り、アフィリエイトもクソもないとは思うが・・・ともあれ、相変わらず、オマエはバカだな
というようなものでした。つまり、せっかく本の紹介リンクを張っているのだから、いま話題のWeb広告の手法を体験してみなさい、というアドバイスなのでした。

なるほどね。そういえば、人気のあるBlogサイトなどには、AmazonやGoogle(GoogleはAdSenseというのかな)などのアフィリエイトの仕掛けが目立つようになりました。聞くところによれば、スタイルやデザインを気にするWebサイトのオーナーやおしゃれなBloggerたちも、この二つのブランドには甘いんだとか・・・AmazonやGoogleは、そのロゴやバナーなどもアッサリ、シンプルな感じだもんね。

さて、友人のアドバイスにしたがって、早速、私もAmazonのアソシエイト・プログラムに登録してみました。さらに、これまでのメモのリンクも張り直して・・・分かっていますよ、誰も来ないのに意味ねーぞ、ってことぐらい・・・。

いま、ネットの世界は、大きくその姿を変えつつあるようです。変化の特徴をいくつか挙げると、たとえば、BlogやWikiのように、新しくて、よりシンプルなネットの使い方が追求されていること。あるいは、ネットに欠けている時間軸の問題を真剣に考え始める人々が現れ始めたこと。さらには、グリッド・コンピューティングのようにネットという資源の新たな活用が探られていること、などなど・・・こうした変化の方向を手際よくまとめた本として、「ネットの未来」探検ガイドというのがあります。とても面白いですよ。

「ネットの未来」探検ガイドが示すところについては、後でゆっくりと話したいのですが、ともあれ、個人サイトにアフィリエイト・プログラムが競って導入されるというのも、新しい動きではあるのでしょう。

こうした動きに対して、ボランタリーなネット社会の崩壊だと嘆くのか、それともコマーシャリズムという新しい遊び道具が増えたと考えるのか・・・当然、私は後者の考え方に立って、お客様をお待ちしようと思っていますけどね・・・ネエ、ネエ、そこのおにいさん、本を買うんだったら、コレをクリックしてから、Amazonで買おうよ・・・そうさ、本をいっぱい読んでだよ、眼でも悪くしたら、その時はちょうどいい機会だ、カッコいい新しいメガネも買いなよ、よかったらさ、メガネも斡旋するから・・・

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2004-01-17

「すぐ、そこ」のアンドロイド・・・

正負のユートピア<もう6~7年前になるのでしょうか。「正負のユートピア」という本を読んだことがあります

私の場合、数ヶ月前に読んだ本でさえ、書名を含めて、ほとんどすべて忘れてしまいます。そのため、気がつくと、「手元に同じ本が2冊もあるよ・・・」なんてこともしばしばです。ところが、この本については、そうではありません。書名ばかりか、薄ぼんやりとではありますが、内容の一部さえ覚えているのです。これは優秀な「忘却機械」である私にしてみれば、たいへんに例外的な事態というべきなのです。

「正負のユートピア」の著者である松田卓也さんは、神戸大の先生だったはずです。松田さんは、その本の「あとがき」に「Windowsのアクセサリーゲームであるソリティアばかりしてしまい、執筆が遅れに遅れて・・・」というようなことを記述されていたように記憶しています(何しろ、手元に現物がないので記憶は曖昧です)。それを読んだとき、何となく「このヒトとは、気が合いそう・・・」と感じたことを思い出します。たぶん、私も似たような行動に走るタイプだからでしょう。そのとき同時に、「ヒトがヒトに対して抱く好悪のイメージってのも、実は何の根拠もない極めていい加減なものなんだろうな・・・」と感じたことも覚えています。その頃、大嫌いな奴か、あるいは大好きなヒト(あっ、不倫か…)でもいたのかもしれません。

ところで、なぜ、6~7年も前の古い読書の記憶が蘇ってきたのでしょうか。実は、たまたま見かけたWired Newsに次のような記事を見かけたからです。

脳とコンピューターを直結するインターフェースが現実に

アンドロイドは電気羊の夢を見るかずっと以前から、脳とコンピュータのダイレクトな接続が「夢」として語られてきました。でも、それは遠いお話であって・・・という前提があるはずでした。しかし、記事によれば、「それは、もはや遠い話ではない」ということのようです。ちょっと前には未来でしかなかったはずのコンピュータ直結型のアンドロイド。それが、早くも現実の内部に形をなそうとしている・・・そんな印象を受けるのは、私が年を取ったからかもしれませんが・・・


「正負のユートピア」において、著者の松田さんは「否応なしに人類はアンドロイドへと進化する」というようなことを述べていました。それは、宇宙内存在としてのヒトが辿らざるを得ないある種の宿命だ、といった内容の記述だったと記憶しています。

さて、私のちょっと「トロくさい脳」がもっとも「チャーミングなコンピュータ」とダイレクトに接続する・・・どんな感じなんでしょうかね? さまざまな意味でイマジネーションを逞しくしちゃいますよね。

でも、そのチャーミングな相棒が<Microsoft製>だったなんて、勘弁してくださいよ・・・activation & update・・・その繰り返し・・・ハイ、○○ドルを支払って・・・アレレ、フリーズしちゃったよ・・・これでは、トロくさい「原生脳」で十分ですものね。

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2004-01-15

猛威をふるう風雪に泣く・・・

一昨日から今朝まで、札幌はひどい吹雪に襲われておりました。私と同居人が住まう「小さなお家」も吹き溜まった雪ですっぽりと埋もれてしまいました。

近隣のお宅などは、吹雪が激しく吹きすさぶなかにあっても、こまめに玄関口などの除雪をなさっておられる。以前、私はこうした近隣の皆さんのあまりに実直な振る舞いに対して、「まるで安部公房・『砂の女』みたい・・・これからまだまだ雪降るのになあ、降り終わって、からりと晴れ上がってから気持ち良く除雪に励むべきなのでは・・・」というような感想を持ったことがあります。

北海道、とりわけ札幌や旭川など積雪量の多い地域にお住みになっている方々であれば、お分かりになると思うのですが、真に雪と闘う道産子(ドサンコ)ほど、上述のようなセリフを耳にするや否や、「あんた、アホか、それともガキか・・・」と一喝することでしょう。もちろん、もう私もガキではありませんよ、分かってますって・・・。

そうなんです。雪国においては、いったん「豪雪モード」に入ったとなると、果てしのない物語のように、雪は降り積もり、ときに吹きすさぶわけです。

飽きもせず降り積もる雪花の乱暴狼藉に対して、小さな市民が行い得る唯一の対処法といえば、「トヨタ・カンバン方式」ではありませんが、できるだけこまめに取り除くこと。降ってきたら、取り除く・・・その繰り返し。ちょっと油断して、<Just in Time>の心意気を失ったとたん・・・そうです、お家も、道路も、すべて雪山に埋もれてしまうのです。

さて、このようにつまらないことをグダグダと書き綴るのは、どうしてなのか。

もうお察しのことと思いますが、私、何ひとつ除雪作業をしていないのです。そのため、玄関からまともに外出もできない。まったく情けない状態に陥っているわけです。

では、どうしているのか? お隣さんが頑張って除雪した通路を、まるでウグイスに托卵するズルっこいカッコウやホトトギスのように、こっそりと使わせていただいている有り様。もちろん、車は使えない・・・まあ、こういう状態になると、なるべく車は使わない方がいいんですけどね。

ああ、さっさと除雪しなきゃ・・・積雪のない地域の方々に、この悩みは分からないはず。雪国に住む人間の絶対的なハンデ、大いなるシャドー・ワーク巨大なアンペイド・ワークだよなあ・・・

つい数日前だったでしょうか、年も変わり、「小さなメモ帳」にあっても、どうでもいいような「お日記」を猫なで声で語り、一人悦に入っているようではいかん、社会の不正を撃つ正義のハードボイルドであるべきだ・・・なんて書いたような気がします。けどね、ダメだ・・・車庫前にうず高く積もった雪の山を目の前にして、すっかりヒヨっちゃった。

そもそも、「日和見」というのは、天気模様を見ることでしょ?・・・正義も悪も、しょせんは小さな人間のちっぽけな行いの結末にすぎない。自然の振る舞いには勝てないからなあ・・・

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2004-01-14

米国皇帝選挙を予想する・・・

nifty@cocologの「トラックバック練習問題」が出ていました。さっそくに応答いたしましょう。

「2004年の大予言」です。

私、昔から大の予想好き。予想するものがほしくて、何年も競馬に嵌っていたような愚か者。何でも予想したいなあ・・・ホントは大金、賭けてさ・・・

けれど、今回は「2004年・アメリカ大統領選挙」に限ることにする。賭けもなしだ。

言うまでもなく、いま、世界はアメリカの一極支配体制(Unipolar System)のもとにある・・・まずはアメリカ帝国の皇帝選挙が何よりも大切だからだ。

結論から述べる。ブッシュがゲッパートに大差で勝つ

民主党候補をディーンからゲッパートにひねっておいた。ディーンならば、もっと差がつく。

その結果、世界は"I know the human being and fish can coexist peacefully"と演説するような偉大な大統領によって、再び4年間にわたり統治されるのである。これをもって僥倖というべきなのか、悪夢というべきなのか・・・ちなみに、先の「人間と魚は平和的に共存できる」という演説は、2000年9月29日にミシガン州・サギノーで行ったものである。「ブッシュ妄言録」という書籍も出ている(上・下本になっているようだ)。絶望的な気分に浸りたいときなど、是非読むべし。

さて、2004大統領選挙の「影の主役」は、言うまでもなくヒラリー・クリントンである。立候補すれば「勝つだろう」と噂される彼女だが、今回はパスする見通し。2008年を狙っているということは、今回はブッシュに勝たせて(万が一、民主党候補が勝つと、彼女の出番は消えてしまう)、2008年につなげる戦略。ベストセラー「リビング・ヒストリー」の著者は、さすがに賢い。

とはいえ、その彼女、年初めから「失言し謝罪」というようなことでは、いささか心もとないなあ・・・。

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2004-01-12

ヤクザに支配される国の小さき人々…

年が明けてからでしょうか、「小さなメモ帳」は大きく失速してしまいました。新しいメモが追録されてないもんなあ・・・この前も、ここのURLを教えている同僚の一人から「新しいの、ないっすね・・・」との指摘をいただいてしまいました。

確かに、正月ボケとしかいいようがありません。反省しなきゃいけません(誰もオマエの『落書メモ帳』に期待なんかしてねーぞ、ってか・・・)。

さて、この年末・年始のお休みの間、私利私欲というお縄にガッシリと縛られた「小さきフィールド」から、しばし身を引き離して、この国この世界の来し方行く末などなど、「大いなる世界」に想いを馳せておりました。

あらためて思うのですが、「ヒマ」というのは実に恐ろしいものです。古代ギリシア人がそうであったというように、食うため、生きるための不安や心配から離れてブラブラできるならば、誰だって幾分かは思索的になろうというものです。

さて、「この国の来し方行く末」のことです。たとえばですよ、今日の新聞には次のような記事が載っているではありませんか。

事業丸抱え受け利益1億円 与謝野、山東両議員出資会社

たまたま、この連休中のひまつぶしに「ヤクザ・リセッション」という本を読んだ私としては、何ともいいようのない感想をもたざるを得ないわけです。

「ヤクザ・リセッション」とその前作「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」(これも買ってきちゃった・・・)を通じて著者のベンジャミン・フルフォードさんは、はっきりと次のことを私たちに指摘し、「おまえら日本人よ、そろそろ現実を直視して何とかしろよ・・・」とのメッセージを送っています。

彼の指摘とは、簡単なことです。彼の言葉を借りれば、

「日本の不良債権はお金ではない。『政・官・業・ヤクザ』の癒着(cronyism)が本当の不良債権をつくり出し、いまやその人間自身が不良債権になっている。これを社会から排除しなければ、改革なんてできませんよ」。
ということなんです

10数年も前から、たとえばカレル・ヴァンウォルフレンさんが「日本権力構造の謎(上)「 〃 (下)」「人間を幸福にしない日本というシステム」などで指摘していたこの国の政治的・社会的な権力構造の問題が、いよいよのっぴきならない事態にまで至っているということが、実によく分かります。誰もはっきりさせないけど、この10余年、ウソとイカサマが限りなく繰り返され、何人ものヒトが殺されていて・・・。

この国においては、「政・官・業・ヤクザの鉄の四角形」に加えて、司法・警察・メディアなども本質的に「みんな、グル」だから、ひとたび苦境に陥った人々は最後の駆け込み寺として、フルフォードさんたちのような外国プレスのところに救いを求めるのだとか・・・。

場合によっては、日本の国内メディアも外国のプレスに駆け込んでくる。たとえば、皇太子妃に小和田雅子さんが決まったときも、先ほど引退した自民党の実力者・野中広務さんが被差別部落の出身であることも、最初に書いたのは「ワシントンポスト」。国内のメディアが書けないので、情報を海外メディアへとスルーしちゃうわけです。

どこの国だって、たとえば「デモクラシーの帝国」たるアメリカにおいても、その支配層の在りようというのは、日本と同じか、むしろデッカイ分だけ、よりいっそうひどいものなんでしょう。ジェームス・エルロイさんという作家が「アメリカン・タブロイド(上)」「 〃 (下)」や「アメリカン・デス・トリップ」(上)」「 〃 (下)」で描く世界は、アメリカ現代史にかかわるドキュメントなどと合わせて読むと、そこには作家の夢想を完全に超えたリアリティがあることが分かります。

結局、ヒトという小さき存在がこしらえる国家・社会というのは、どこにあってもカネや暴力やエロス、つまりは欲望が織りなす構造体なんだ、ということなのでしょう。それでもアメリカが「デモクラシーの帝国」であるとされるのは、端的にいえば、米国における主要なメディアがジャーナリズムとしての機能を何とか保ち続けていたからです。

ちなみに、「9.11」以降、アメリカのメディアはジャーナリズムとしての役割を急速に失っていきました。聞くところによれば、アメリカにおけるBlogブームには、既成メディアが失ったジャーナリズム機能を市民の側から提案・代替したという側面があるとのことです。真実を知ろうとすること、たとえそれが不可能なことだと理解していたとしても、そのための努力を欠かそうとしないこと・・・デモクラシーというのは、そのような社会的な合意が基礎になければ成立しないもののようです。

これに対して、日本のメディアというのは、はなからジャーナリズムとしての役割を放棄しているふうがあります。有力政治家がらみ、銀行・大企業などの広告主がらみ、創価学会とかの巨大宗教団体がらみ、ヤクザがらみ、差別問題などの人権がらみ・・・こうした記事をわが国のメディアは(一部の週刊誌メディアの奮闘を除けば)、みんな書かないし、書けない。ひどい場合には、ヤクザなどからの買収に簡単に嵌ってしまうメディアや記者連中もいる・・・。

以前から、私はこの国のメディアにあって、ジャーナリズムという機能はほとんど働いていないのではないか、と感じていました。日本のメディアとは私たちの眼から「真実を遠ざけたり、逸らしたり、あるいは忘れさせる」といった権力=意識産業に過ぎないのでは、という強い疑念を抱いていたのです。

この国の主要なメディアは、戦前・戦後を通じて一貫して単なる大衆動員装置であって、ジャーナリズムではない・・・私は、こうしたメディアのあり方や機能を<prevention>と呼ぶことにしているのですが、フルフォードさんの著作は、まさにこうした印象や疑念をはっきりと実証しているように思いました。

ともあれ、ヒマでちょっとお金に余裕があるならば、「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」か「ヤクザ・リセッション」、あるいは両方を読んでみてください。面白い話がいっぱい詰まっていますから…。

でもねえ・・・おそらく、私たちは「この国の真実」をぼんやりと知っているんでしょうね。知っていながら、それでも小さな私たちは、相も変らず「ラクちゃん、私の化身なんで~す」とか、「昨夜、食べました。とっても感動!! イチゴいっぱいのケーキで~す!!」などといったキャプションを付して、どうでもいいデジカメやケータイの画像を載っけて喜んでいるのです。

つまり、この国のBlogは、意見を持たない、あるいは意見をもつことを恐れる小さき人々の「小さなメモ帳」ばっかり。もちろん、これって、決して否定されることではありません。大衆がメディアを手にするということは、とりあえずはそういうことなんでしょう。

とはいえですよ、小さき人々=大衆というのは、いつでもそういうものでいいんでしょうかね・・・その国、その社会が隠し持つ恐ろしい裂け目に、自分自身が嵌まり込まない限り、「あれ、アイツ、何やったんだろ、やられているぞ、哀れだね、カワイソー・・・」で終わりにしちゃう。でもって、自分が安泰な限りは、相変わらず「さすがに有名なシェフですねえ、ウマイヨ~」とかいって、ケータイでパチり・・・。

こういうのって、幸福のあり方、幸福の度合いという観点でみると、どういう状態なんでしょう?・・・年変わりして、「小さなメモ帳」も猫撫で声でコチャコチャやっているばかりではいかんかもなあ・・・ちょっとは硬派っぽくいくかあ・・・

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2004-01-07

「小さな住所録」に新人登場です・・・

「小さな住所録」に2人目の住人が登録されました。

おっきいぞ、naoton36号

人物を語るとき、あれやこれやの属性を並び立て、「であるからして、○○くんの長所はかくかくしかじか~、ちなみに克服すべき短所はうんぬんかんぬん~」などと面倒なことはしたくありません。

で、どうするのか? 簡単です。<小←────→大>という数直線を想定し、各人をこの数直線上に位置づけるだけのこと。ちなみに、私は限りなく左寄りにポイントされているわけですけどね・・・。

新人naoton36号は右に寄っています。明らかに右寄り・・・別に彼が右翼的な政治思想の持ち主ということではありませんよ、あくまで私の人物評価にかかわる「数直線」上の位置のお話ということでして・・・。

naoton36号の大きさについて、簡単に分析・報告しておきます。
まず、彼は物理的に大きい。私は何よりもフィジカル、マテリアルな要素を重視する人間です。ですから、身体の容積が大きいということは、ヒトの大小を考える際の最も重要な要素となるでしょう。

しかし、ヒトはハードウェアのみにあらず、そのソフト面が大切なことはいうまでもありません。その意味でも、新人naoton36号は、限りなくデッケェーぞ!! まずどんな状況にあっても、小事にこだわりを示しません。いうなれば、大人=TaiJinですわな・・・あまりにも大きすぎて、ときにはいささか滑稽に感じることがあるのは、多くの大人に共通する<アレ>好きなコトバを入れてください)というべきでしょう。

最近、naoton36号にはムスメができました。ムスメをめぐる物語・・・ムスメを愛するあまり、naoton36号は大きな指先で小さなキーボードを叩きはじめました。ムスメの健やかな成長を願って日記を書き始めたのです。

大きなnaoton36号の小さな日記・・・こうして、naoton36号は「小さなメモ帳」のfellowになったわけです。

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2004-01-05

本棚の蔭で立ち話を・・・

こんにちわ、2004年・・・とよびかけようにも、「オマエ、遅いわ・・・」と<2004年さん>に叱れてしまいそう・・・まあ、ともあれ、おめでとうございます。

さて、年の変り目に際して「見たことや聞いたことなど」を、忘れないうちにメモしておかなくちゃね。

まずは「男性A」さんのこと・・・。

大晦日の夕暮れ、ビーズ玉(同居人が「ビーズ細工」とやらに凝っちゃって・・・)を買うために郊外にあるメガブックストアーを訪れたときのことです。店内をブラブラしていると、知り合いのAさんにバッタリ出会いました。

「何してんの?」と尋ねると、Aさんは薄っぺらい本をチラリと示して、「大晦日って男はヒマだから・・・それに・・・おれ、いま、ちょっとヤバイ奴に絡まれているんで、その対策用の資料になればと・・・」との返事。

「カラマレル」といっても、プレイベートなことが原因というわけではなく、仕事上の問題のようです。

何でも、Aさんに激しく迫ってくるアタッカー氏は、最近は攻撃の矛先をAさん本人から彼の上司にも拡大し始めていて、「Aにケジメをつけさせよ。Aを解任せよ。」と凄んでいるのだとか。「フットボールでいえばだな、真ん中から攻めてもイマイチだから、サイドからクロスボールを放り込み始めた、という感じかな」というAさんの喩えもイマイチの精度ではありますが・・・。

まあね、私にしてみれば、羊が猿に絡まれようが、あるいはその逆だろうが、どうでもよいことです。でも、とりあえず「誰よ、それ?」と会話のストリームに逆らうことなく再質問してみました。

すると、Aさんは「誰にも、絶対いわないよな・・・」と秘密めかして、自らにかけられているアタックの概要について(しかし、ポイントはしっかりと外して)説明してくれました。

「そんなこと、誰にも、絶対にいわないって・・・」と誓いを立てて聞き出した以上、私もヒトの子、「秘密」を明かしはしませんが(ならば、どうしてこのメモを・・・とはいわないで)、 そもそもAさんというのは、彼のお仕事の世界にあって、「ステップアップ、早すぎ・・・」というお方。そういうヒトって、「アイツ、仕事はできるんだけど、ちょっとね・・・」というネガティブな感情を抱かれやすいし、それに良くも悪くも目立つわけだから・・・アタッカーたちのターゲットにもなりやすいんだろうね。

「ステップアップ? ねーよ、そんなもん・・・」という私からすると、クレーマーの一人や二人、スマートに処理できないようでは、大きくて柔らかな革張椅子のあるお部屋で、ゆったりとお仕事できるようにはなれないなあ・・・と意地悪い感想をもちながらも、「大丈夫だよ。アンタの誠意は必ず通じるって・・・」などと調子の良いことばっかりいっていました。まあ、これも会話のストリームを何よりも大事にする「小さな人間」の本領発揮ということで・・・。

ところで、Aさんが立ち去った後、すぐに同居人が私の傍らにやってきました。同居人は本棚の蔭から私とAさんの立ち話を窺っていたのです。

同居人は私の耳元に囁きます、「アイツ、エライ奴でしょ? だって、アンタ、ニコニコ・ヘラヘラしてるんだもん・・・まるで群れの中の下位のオオカミみたいに・・・」と。もちろん、私は「そうではない、むしろ正しくはその逆なのであって・・・」と同居人の感想を強く否定しました。

しかし、同居人は笑いながらも、「見えるもの、それが真実でしょ」ときっぱり。なるほどなあ・・・つまりは、そういうことなんです。

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